心の傷と共存する
昨晩は、実母からの他責モード全開の欝電話を受けたことで、精神的にダメージを受けて、その後、寝る前にそのことについてラインでさんざん知り合いにチャットしたこともあり、薬が全然効かずに眠れず、眠りの質の非常に悪い一夜を過ごしてしました。
布団の中にいると、自分の内面にある、過去に急性ストレス障害を発症させた、負の噴火口が見えてきて、そこに吸い込まれそうになり、いよいよ辛くなってきます。だんだん体力が奪われて、心をつなぎとめる鎖が重く、そのまま悪循環の世界に囚われる、指輪物語のフロドのような感覚に陥るのですが、そこは過去の経験則から、とにかく力を振り絞って鎖を断ち切り立ち上がります。
そうすると、頭はもうろうとしているものの、自分の心の鎖の重さが、思い込まされたもので、つながれているわけでもない、そういう迷いを霧を振り払うことができます。今朝も、起きた余勢で書いている感じです。
ただ、今朝のことではっきりわかったのは、僕は4年前の急性ストレス障害の心の傷が、治癒したわけではないんですよね。心には傷は負の塊となって、その大きさはピーク時に比べれば、小さくはなっているものの、まだまだそれなりのものが残っている。それを、普段はうまくコントロールしている、冷却状態を維持していることで、負のエネルギーの暴走によるダメージを受けないようにしている、わけです。
それを、僕は事故を、過去の出来事として年表の中に押し込め、切り離し、強い自分を取り戻した、雨降って地固まるとなったという、「今や僕は過去の辛い経験を克服したんですよ」というストーリーを自分の心に無理やり持たせようとしていた、そういうことに気が付きました。
「皆さんと一緒ではない。僕は傷を抱えたまま、共存してこれからも生きていきます。それはハンデかもしれないけど、ハンデも含めての僕であって、そこに目を背けるのでなく、一緒になって僕の人生を切り拓いていこう。」
ようやく、そんな吹っ切れた気持ちになりました。弱さを認めるとか、甘えをいつまでも許すということと、紙一重ではありますが、そこを逃げ口上にするのではなく、弱さも許容したうえで、自分のできることをやっていく、それしかないでしょうね。