メシ食ったか薬のんだか
僕の職場の同じフロアの自販機コーナーで、毎日のように大声で電話している人がいます。
電話で話している内容を聞く限り、相手はどうも年老いた親、おそらく母親のようであり、かなりの高齢で耳も遠いうえに、物忘れも激しいらしく、「朝はちゃんとメシ食ったか?」「薬はのんだの?」といった基本的なところから、「今日は天気もいいしあったかいから、散歩に行きなよ」「ご飯ちゃんと炊いて食べるんだよ。お菓子とかで済ませちゃだめだよ」といった細かなアドバイスもしています。
何となく、この人の会話を聞いていると、自分が幼少のころ、土曜日の夜のお茶の間の定番「8時だヨ!全員集合」のエンディングでドリフターズの加藤茶さんの合いの手である
・風呂入れよ
・歯磨けよ
・顔洗えよ
・宿題やれよ
・風邪ひくなよ
を思い出します。
共通するのは、一見、粗忽に見えて、ちゃんと生きてほしいという思いが伝わってくる、温かさを感じる言葉だということです。
普段生活していると、自分との関係性が薄い人に対しては、いくらでも同情できますし、表面的にはやさしくなれるような気がします。そこに責任はないから、その人の考え方が他責モード全開であり、そのままでは、おそらく不幸のスパイラルに陥るだけだろうなと思っても、そんなことを指摘するとこちらに怒りが向かってきて、面倒くさくなるので、何となくやり過ごすことが処世術として重要です。
逆に、自分が責任を持たないといけない相手、大事な人に対しては、もし、生活習慣や言動が、不幸のスパイラルの入り口に立っている場合には、そこに踏み込ませないために厳しく対応せざるを得ないし、言い方も直截的になります。
ただ、そこは家族とかだとお互い遠慮がなく、特に親子関係の子の立場から親が言われることは、長きにわたり保護と被保護の関係性でやってきているため、どうしても受け入れがたい、甘えもあってぶつかりがち、ということになります。
ある意味、全員集合のような、家族が一堂に会してみるような番組で、第三者の立場から最後に生活習慣の基本を投げかけることは、アプローチとしては、とても自然に受け入れられる方法ではなかったかと思います。
そこまでの考えがあっての番組づくりがあったのかは、わかりませんが。