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理想の住まいという唯一の活路に思いを焦がす

 このところ、再び母の無茶ぶりがひどくなっています。

 振り返れば、3年前に父が亡くなった直後から、父が亡くなった住まいにはもう住めない。それに自治会の役員が回ってくるし、修繕があるのでお金もかかる、という、今考えるとどうにでもなるような話で、住み慣れたところから強引に引っ越したのが2年前。

 引っ越し直後からは、前のマンションをどうして放置しておくのか、管理費が毎月発生するし、管理人さんもなぜ早く売らないのかとイライラしているはずで、自分もそれを考えると眠れないから、とにかく早く売れというのが第二ステージ。

 それと同時に、住み替えた住宅は家のすぐ近くにコンビニしかない。スーパーはバスがないと行けないので、こんな不便な場所にどうして引っ越させたのか、何とかしろ、でも宅配サービスは煩わしいからいやだ、とにかく便利な場所に引っ越しだというのが、はじまりました。

 住み替えてから約2年、僕は毎週、買い出しに行って必要なものは届けてますし、僕も弟も、次なる引っ越し先を探して、いろんな物件に連れて行きましたし、サ高住も見せましたが、どれも気に入らないということで、結果的に拒み続けては、子ども二人を責め続けるだけで、どうしろというのだというのが、本音のところです。

 昨日もいろいろ忙しいところ、どうでもいい愚痴と、2年間、何もしてこなかったと言わんばかりの、自分の過去の言動を都合よく改変しての他責思考に、怒りを抑えつつ、聞き役に徹していました。

 サ高住を考えたいと言うから探してくれば、老人ホームに入った親戚はいないので恥さらしだと怒り、自分には娘がいないのが人生で最大の不幸だと騒ぐ。

 正直、何かあるまで、一切放っておきたい気持ちになります。

 ただ、根底には、とにかく寂しさがあるということなのでしょうね。

 かまってもらうネタもないし、自分は時間を持て余し、一日中、自分の好きなことだけをして生活していれば良い。

 でも、ネットは使えないし、テレビは飽きるし、本を読むなんてこともそうそうできないから、自分の狭い世界の、少ない変化の中で、頭を巡らすしかなく、そうすると、同じところをぐるぐる回り、どうでもいいことも大問題にせざるを得なくなる。

 もの忘れは激しくなっていますが、過去の記憶はすべて都合よく取捨選択して忘れ、その穴は自分に都合の良い物語で埋められ、自分は苦労してきた、自分はちゃんとやってきた、自分は何も悪いことしていない、ではなぜ、現状は寂しく辛いのか。

 自分のせいでないなら、どこかにこの苦しい現状を生み出した「犯人」がいるはず、息子たちのせいだ、いやいや、嫁が一番悪い、きょうだいも悪い、ただこのへんはどうにもならないのはわかっている。

 なので、現状で唯一、変えられる可能性のある住まいに思考を全振りして、そこに活路を見出す、日々の思念がそこに集約され、思いを焦がしているのでしょう。

 まあ、生きている唯一の親のことで、放置するわけにもいきませんので、引き続き、青い鳥探し、希望提供業の役目を果たしつつ、今は、凌いでいくしかないのかなと思います。

 
 

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