朝のルーティン
毎朝、用事がなくても母に電話をしています。
以前は週に2回程度、不定期でしたが、先月の住まい探しを巡ってのゴタゴタを経て、母の要望を受け入れるかたちで、毎朝の定期連絡に切り替えました。
毎朝、決まって電話することで、不規則な時間に母から電話がかかってくることが、基本、なくなりました。
以前の、何となく週2回の電話のときには、日中の忙しいタイミングで、母から電話がかかってくることがあり、そうした時は、こちらも心に余裕がないため、どうしても不機嫌な声になってしまいました。
一方で、母の方にしてみると、いつになるかわからない電話を待つことは耐えられず、とにかく不安に思うことがあるから電話したのに、いかにも面倒という態度はないだろうという気持ちになる。
結局、1回あたりの電話の時間は、それなりに使っているのだけど、お互いの相手に対する不満をぶつけることに費やし、時には言い合いになったりして、お互いにカリカリした気持ちになる、残念な時間の使い方をしておりました。
これが、毎朝電話するようになってから、変わりました。
母の話は、僕からするとテンポが遅く、同じ話が続き、とりとめがないのですが、それも翌朝、また電話が来るとわかっているので、母も何か足らないことがあれば、明日の朝にまた話せばいいやということになり、だいたい5分以内で電話が済むようになりました。
ルーティンになることで、お互いに安定し、母も現状の中で、少しでも前向きになろうという気持ちに、なっているのを感じます。
最初からこうすればよかったのかもしれませんが、歯車がかみ合っていないときは、お互いの歯車がぶつかりあい、僕にとっては母からの電話は、不平不満の洪水を受け止める魔の電話であり、
母にしても、電話が終わってからは、息子の言動に対するネガティブな感情が呼び起され、それに心が毒され、いうなれば、お互いにとって不幸の電話でした。
たしかに、僕自身も模範的な孝行息子からは遠い道のりを、やや不本意な面もありつつ、歩んできた、この点、母には申し訳なかったという思いはあります。
ただ、世の中、そんなになんでもお互いに思いどおりにいくような、絵にかいた幸せな親子関係ばかりではありません。
特に母と子の間は、生まれたときは、もとは一体でしたので、長じて異なる価値観を抱くようになっても、どうしても、お互いに対する甘えがあり、人生が如意にならぬことも相まって、いがみ合うようにもなります。
僕と母の間にも、どうしても埋めがたい価値観の谷があり、それがもとで長らく、順風満帆とはいかない関係が続いていましたが、今後は、歯車をぶつけ合うというより、歯車を合わせることで、僕が母を受け止める、そういう心持で毎朝のルーティンを続けてきたいと思います。
この先も、平坦な道ではないため、このまま最後まで穏やかに、というわけにはいかないかもしれませんが、母との間柄を、互恵関係のようなものに持っていけるよう、少し望みを高く持つことで、それを梃子に、自分の人生を好転させる契機としたいものです。