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後ろからも見られている

 先日、高校生の娘が、部活動の一環として、ある企業の本社での演奏会に出演しました。

 なんでも、その企業の本社社屋で、普段はオフィスとなっている場所で、敬老の日イベントがあったとかで、そのイベントのプログラムの一つとして演奏会があったようです。

 急に決まったとのことで、2週間ぐらい前から、そのための練習をして、本番に臨んだようです。学校にとっては、地域貢献なのかもしれませんが、企業のイベントになぜ呼ばれたのか、本社で敬老の日イベントって何だろうと、僕にとっては?がいっぱいだったのですが、
この企業、全国的にも名の通った創業者の立ち上げた企業で、本社屋も独創的かつ魅力的な建物で、そこに立ち入ることができて娘は満足していたので、まあ結果的に貴重な経験ができたのかなと考えています。

 で、このイベントに先立ち、部活動の顧問の先生と、リーダー格の生徒数人が本社で打ち合わせしたようなのですが、先方の社員が理路整然と説明しているのに対し、顧問の先生がメモも取らずに何度も同じことを聞き返し、先方の話の途中でかぶせるように質問したりと、生徒から見てもハラハラするような感じだったそうです。

 高校生になると、このへんの感覚がわかってくるので、先生にとってのドメインである学校現場なら目立たなくても、外の世界で一人の社会人としての振る舞いは、相手方との対比がしやすい分、あらが目立つことになり、厳しい見方をされるのだなと思いました。

 先生も、外に行ったときは、話している相手だけでなく、後ろからも生徒に見られているということを自覚し、用心をして対応しないと、知らず評価を下げられているわけです。

 考えてみると、学校の先生は、さまざまな生徒と日常的に接し、教育者として対応することに、リソースを割かれるでしょうから、仕事で組織を背負いながら、大人同士のやり取りをするような機会は、教育委員会事務局のようなところに出向しない限り、あまりないのかなと思いました。

 営業職のように、職種として求められる能力ではないため、キャリア形成の過程で磨かれる機会が少なく、個人任せなのかもしれません。

 あと、娘と話していて驚いたのは、プレゼン資料に対しても、それなりに評価ができるようになっていることですね。部活動の先輩が作成していた資料について、文字数が多い、ダラダラ書いていて読む気がしない、フォントに工夫がないと、辛口の評価をしていました。

 そこで僕が、先日作成した役員レクペーパーをみせて、タイトルと大項目はゴシック、要旨は囲み記事にして冒頭に記載、参考データのフォントは本文に比べサイズを落とし、大項目の行については前を0.5行空けて、1枚におさめる、といった説明をしたら、見やすい読みやすいと、合格点をもらうことができました。

 まあ、レクペーパー作成は、あまり気合を入れすぎると、ブツシットジョブになってしまうかもしれませんが、最近はレクといっても対面ではなく、出張先にてスマホでレクペーパーを確認するようなことも増えており
その場でやりとりすることなく、紙のようにマーカーや書き込みをできない分、メリハリがあり、かつ簡潔な資料が求められていると感じます。

 それにしても、高校生ぐらいになると、親としても子どもに、後ろから見られている、どころか、むしろ同じ目線での評価にさらされていると、今回知らされました。

 我が子にも、一人の大人として、丁寧に向き合っていきたいですね。

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