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深呼吸して、場を外し、念を飛ばす

 僕たちは日々、さまざまな「期待」を抱いて生きています。それが他人に対するものであったり、何かの物事に対するものであったり、あるいは自分自身に対してということもあります。

 しかし、現実はときに、そうした期待を大きく裏切ることがあります。それはまるで、注意を払わずに階段を一段踏み外したときのような衝撃です。突然バランスを崩し、頭が真っ白になり、周りが何も見えなくなるような感覚に陥ります。

 多くの場合、そうした期待の踏み外しは、他人との関係性や、物事の全体からすると、大したことはないのですが、そうした局面では視野狭窄に陥っており、「この人はもうダメだ」とか「この状況には何の希望もない」といった極端な結論に飛びついてしまいがちです。
 バランス感覚が失われると、藁をもすがりたくなるし、自分の欠けた期待が何よりも大事なものを失ったように思えてしまい、それを取り戻すために、期待を裏切った他人や物事を全否定するような、行動を取ってしまうことさえあります。

 でも、こうした思考回路が状況をより悪化させてしまうことは、多くの経験から痛感しています。だからこそ、僕はまず「深呼吸」をします。
 深呼吸をすることで、一時的にでも心の乱れを落ち着けることができるのです。息を吸って吐く、そのリズムに集中することで、感情の暴走を少しずつ抑えることができます。

 ただ、深呼吸だけでは、場の空気が入れ替わっていないため、自分の中で起きたショックが大きい場合は、事態を収拾できません。
 その場合は、次に「場を外す」ことを心がけます。状況から一旦距離を取るのです。僕の場合、心を切り離すような芸当はできないので、物理的に現場から距離を置きます。
 職場の近くの公園に行くとか、家であれば電車でしばらく往復して帰ってくるとか、とにかく距離を取ることで、状況を客観的に見られる余裕が生まれます。

 場を外してからは、僕は心の中で「念を飛ばす」ことを試みます。これは、自分の感情を整理しつつ、問題の焦点を見つめ直す作業です。「なぜこんな状況になったのか」「相手は何を考えているのか」「僕は何をしたいのか」といった問いを冷静に自分に投げかけます。
 こうして整理してみると、多くの場合、最初の衝撃ほどには状況が全面的に絶望的ではないことに気づきます。

 僕の期待が裏切られたのは相手の行動の一部分であって、その全人格を否定する必要はないかもしれません。また、状況が僕の計画どおりに進まなくなったとしても、代替案を考えれば実現可能な道は残されていることがわかります。こうした切り分けを行うことで、「対処可能な部分」と「いまは受け入れるしかない部分」が見えてきます。

 そして最後に、冷静になった自分自身に問いかけます。「本当にすべてがダメなのか?」と。驚くほど多くの場合、実際にはそうではありません。状況が複雑であればあるほど、一見絶望的に見える中にも解決の糸口が潜んでいるものです。
 また、見つめ直すと、自分が大事にしていることが、実はそんなでもなかったということに気づくこともあります。だから他人はそこにこだわらなかったし、物事はそこをスルーしたわけです。
 ただ、裏切られてかっかしている自分に自問自答しても焼け石に水であり、仮に他人が熱くなっている時に水をかけると、火傷をすることになりかねない。感情の嵐が過ぎ去り、視界が開けてはじめてできることです。

 思い描いていたことが裏切られるとき、それは誰にとっても苦しい瞬間です。でも、冷静に一つひとつ切り分けて状況を把握し、対処していけば、すべてを失ったわけではないと気づけるはずです。
 
 この週末、自分と周囲の人のことで、期待を裏切られた出来事があり、「ここだなあ」と思い、極端に走りそうになる思考の手綱を握り、落ち着かせました。

 これからも、深呼吸をして、場を外して、念を飛ばしながら、人生、より良き道を切り開いていきたいと思います。

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