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宿題が片付いていない気分

 僕はもともと、旅をするのが好きだったのですが、このところは、一人旅をすることがなくなりました。

 家族での旅行は、多くはありませんが年に数回は企画します。ただそれも、長く出掛けるというより、せいぜい2泊、できれば1泊という感じで、どちらかといえばせわしない、自分で楽しめる旅ではないので、家族サービスと割り切っていますが、家族ももう少しゆっくりできればと思ってはいるようです。

 原因の一つは、母のフォローがあります。

 母にはこのところ、毎朝電話しているので、どちらかというと見張られている感じがします。特に休みの日は、できればうちに来てほしいという感じであり、僕が学びの時間に使いたいとか、子どもの行事とか、家族で旅行をするとかいうのは、母にとっては「都合の悪い」話なので、仕事だとか、体調が悪いとか、そういうことにしています。

 本当は、母も交えて一緒に旅行とかできればよいのでしょうが、現在の母と会って楽しい思いをする人はいないでしょうし、母にとっても自分中心に回らないイベントなど、逆に怒りを搔き立てることになるので、かえって良くないわけです。

 もう一つは、自分の今の立ち位置が、ここではない、と感じているということです。

 いや、まだまだ、自分は腰を下ろしたり寄り道をしている場合ではない、大事な荷物を抱えて旅をしている途中であり、まずはそれを届けることが先だという気持ちがあり、落ち着きません。

 以前はそれでも、自分の心をごまかして、短期の許しを与える一環として、旅もしていたのですが、今は宿題が終わっていないのに出かけるような、何やら後ろ髪をひかれる気持ちであり、そんなことより、早く「処を得たい」という思いが、強くなっています。

 結局、短期間で何かを成し遂げるには、目標と、実現可能な行動計画が大事で、相応に計画実現に時間を取られるとわかっているのなら、途中の楽しみとか、道程にない寄り道など、一旦は切り捨てないといけない。

 読書ですら、無用の用が過ぎると、精神的胃もたれの原因になりますので、しばらくは必需の情報中心に、無用の用は軽めの本にとどめ、学びのフォーカスと時間の使い方の質を上げることを追究したいです。

 母のことで中途半端な対応が続くのも、自分が何者にもなっていない焦りからであり、早く処を得て、自分の現状を肯定できるようになれば、僕が何か後ろめたさを感じている自分の過去の選択自体を、自分の物語の重要なピースにすることができますし、大地に根差した現状に対する肯定的解釈こそが、点在する闇をも吹き払うストームになりえます。

 この先の2年は、僕の人生にとって、当面のヤマ場ですので、まずは半年、来年3月までの確定要素の強い期間の中で、「いろいろやることあるからね」という言い訳をさせないような環境に身を置いて、僕にとっての宿題、人生の課題に取り組んでいきたいと思います。

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