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母の記憶と向き合う

 最近、母が、祖父の遺産分与について繰り返し話題にするようになりました。これは過去にも何度か巡ってきた話題なのですが、今回はかつてないほど、こだわっており、他のことが手につかない状態のようです。

 母は「自分は分与を受けていない」と言い、何かにつけてその話に戻ります。実際のところ、祖父が亡くなったのは何十年も前のことで、当時の経緯を正確に覚えている人も少ないですし、金額的にはあいまいなものの、せいぜい百万円といったところであり、それがないからといって、今の生活に影響を与えるわけではありません。

 なので、正直なところ、今さら不確かな過去の話を掘り返しても得るものはないのではないかと思います。しかし、母が延々とこだわるということは、それが母にとって非常に大切なことなのでしょう。単なる金銭的な問題ではなく、「自分は父(僕からすると祖父)にとってどのような存在だったのか」という承認欲求や、自分の人生を振り返るなかで気になって仕方がない部分なのでしょう。

 初期の認知症の症状として、過去の出来事を繰り返し話すことがあるといわれています。新しい情報を記憶することが難しくなる一方で、昔の記憶は強く残っているため、それを何度も思い出して確認しようとするのでしょう。おそらく、母にとって祖父の遺産分与が「自分の人生が正当に扱われたか」を測る指標になっているのかもしれません。

 この財産分与の話は、事情が複雑で、僕が聞いている断片的な知識の限りにおいても、あいまいな部分が多く、その話を聞くたびに「当時の状況を考えたら、仮に行き違いがあって受け取れなかったとしても、仕方がなかったのではないか」と論理的に説明しようとしていました。

 しかし、過去において、それでは母の不満は解消されるどころか、むしろ強まるように感じました。母は事実を知りたいのではなく、「自分の気持ちをわかってほしい」と思っているのだと気づきました。

 そこで、対応の仕方を変え、今は共感を示し、母の話を否定せずに聞くようにして、対応案を一緒に考えることにしました。

 現実、できることは親戚に母が電話して、事実関係を確認するぐらいであり、それをやったところで、壁にぶち当たることは必至です。

 それはなんとなく母も理解しており、その対応案は実行に移されることはなく、また明日になれば、同じ話を聞いて、同じ対応案を話し合う、そんな未来図が見えている気がしますが、おそらく、その場における対応としては、母にとっては心が一時的にでも出口を見出すことになるので、慰められるのでしょう。

 過去のことを繰り返し話すのは、母なりの心の整理なのかもしれません。「もう終わった話」と思えることでも、母にとっては「まだ終わっていない」という思いを共有することが、なによりも大事であり、ここは自分の心をリセットして、同じように受け止めたいと思います。

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