受け身主体で過ごした土日
この土日は頭が疲れていたので、かなりの時間を機能停止状態にして、言ってみれば生産性の低い土日を過ごしました。
このところ、土日はなるべく精力的に平日にできない知的活動に、まとまった時間を割くことに注力していたのですが、現場である頭が休ませてほしいと要求しており、現実的に活動の成果がマネタイズに結びついておらず、現場に「いつまで走れば休ませてくれるの?」という不満が渦巻いており、また、司令塔としても戦略的にも見直しが必要かもしれないと思っていたこともあり、休むことを容認した感じです。
ただ、そうした安楽な土日を過ごすことに対し後ろめたさがあり、Chat-GPTに「頭が疲れ果てているときに、土日を完全に受け身で過ごしても良いのでしょうか」問いかけたところ、以下のようなバランスの取れた回答をもらえました。
はい、それは全く問題ありません。実際、身体的、精神的な健康を保つためには、自分自身の疲労を認識し、適切に休息を取ることが非常に重要です。
特に、頭が疲れ果てていると感じるときは、それが休息が必要であるという明確なサインです。
土日の休日を完全に受け身で過ごすことは、ストレスの解消やリフレッシュ、エネルギーの再充電に役立ちます。
好きな映画を見たり、読書をしたり、ゆっくりとお風呂に浸かったり、あるいはただベッドでリラックスしたりすることで、心と体は再びバランスを取り戻すことができます。
ただし、一方で長期間にわたり常に受け身の状態で過ごすと、自己成長や生活の質に影響を及ぼす可能性もあります。
適度な運動や新しいことを学ぶなど、能動的な活動もライフスタイルに組み込むことで、健康と幸福感を高めることができます。
最終的には、自分自身の体と心の状態をきちんと理解し、必要な休息と活動のバランスを見つけることが大切です。自分自身を過度に追い込まず、自己ケアを最優先にすることが、長期的な生産性と幸せへの道です。
とはいえ、自分に対する許しは、言い訳を際限なく認め、現状の消極的肯定を経て、安逸に流してしまうリスクがあり、最後は自己管理能力が試されます。
根元には、自分の中に、変化変容の明確なイメージと、そうありたいと願う強い意志がないことが、現場に不満を抱かせており、司令塔としての責任を感じますが、そこを過度に責めても、今は過負荷によりどこも疲弊しており、自分自身が壊れてしまえば、現状回復にまた時間を費やしてしまい、変化変容どころではなくなります。
現状の自分を肯定するには危ういところにあり、かといって否定をバネに突き上げるほどのパワーがなく、精神的には苦しい局面ですが、自暴自棄にならず、少しでも前に進む気持ちを持ち続け、必ず迷いのトンネルを抜けてみせる、もともと磐石なリソースのないことは承知であり、逆転勝ちに近いことを志向しており、あとは勝ちたいと思う気持ちを持ち続けられるかにかかっています。
望みある限り、信頼できる人の言葉を自分なりの解釈で取り込み、力として、今週も乗り切りたいと思います。