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無敵の人
社会の中で他者とのつながりの中で生活を営み、仕事をしていくうえでは、人との関わりは不可欠です。
ただ、性格や考え方、行動様式などにおいて、どうしても相性というものは出てきますし、この人とは考え方が相容れないとか、相手の行動は自分の行動規範の尺度では、到底理解できないということは、やはり出てくると思います。
とはいえ、そうした人との相性は、どちらか一方が絶対的に悪い、ということはないわけで、いや、自分の気持ちからすると、自分の方が正しいと思ってしまうのは仕方ないのですが、そこは第三者の目線を思い出し、自分をメタ認知で俯瞰して、少なくとも表面的には、まともに受けるのではなく、その人の別な側面を見る、あるいはなるべく離れたところに立つことで、無用な軋轢を生まない方が、無駄に認知能力を費消せずに済みます。
仕事をするうえでは、お互いの立場の違いで、相手との個人的な相性は置いておくとしても、まともに利益の衝突する部分にフォーカスをあててしまうと、どうしても対立関係にならざるを得ない場合があります。
この対立関係、一見、どうしようもないようにも思いますが、利益の衝突する部分ではないところで、何か思いを共有できないかを探ることは、物事を解決の方向に導くうえで、大事なように思います。
ゼロか100かの議論は、勝ち負けがはっきりするので、最後まで折り合わないのでしょうが、お互い、なぜそこにこだわるのか、思いを理解することで、こだわりの背景にある不安とか、不満といったことが見えてきて、そうしたこだわりの背景を理解して、そこを一緒になって解決することで、お互いのこだわりの強度が下がっていく、対立軸は残しながらも、実質的に棚上げしても問題ないレベルになり、他のルートがつながることで、遺跡化していく、それにより、問題自体は解決するように思います。
対立軸で双方が力押しをして、どちらかが力の差で相手を打ち負かしたとしても、負けた側の心の根っこの部分は変わっていないので、いずれ対立軸が求心力となり、再びそこで衝突することになり、結局、恒久的な勝利のようなものは得られない状況に陥ります。
対立軸で力押ししたり、自分を正義の立場において、他者を貶める、そうしたことを繰り返していては、自分の貴重な認知能力を無駄に費消してしまいます。
本当に最強な人は、「無敵」なわけです。それは八方美人で節操なくという意味ではなく、メタ認知で俯瞰し、相手の主張の背景になる根っこのところを理解し解きほぐすといった地道な取り組みにより、周囲の関係性で敵のない状態を維持する、そんなところでしょうか。