リアル人生におけるステータス全振りは難しい
昨日は転居にかかる会社の手続きをするにあたり、社会保険関係の書類を作成していました。
マイナンバーや社内の電子決裁の浸透で、ある程度の手続きは簡略化されましたが、それでも相当数、手書き種類の提出が必要であり、同じような書類に何度も住所を書かされたりして、まだまだ、ペーパレス化は進んでいない面はあるんだなと感じました。
その中で、基礎年金番号を記載する書類があり、写真にあるような年金手帳はそれこそ、どこかにしまって行方不明でなんですが、ねんきん定期便というのが年に1回ぐらい来ていて、僕の場合はそこに記載されてました。
このねんきん定期便、届いた時ぐらいしか見ないのですが、標準報酬月額が総収入になっていて、当たり前ですが実収入よりもかなり高い。この金額を前提に、ここからガッツリ、年金の原資である社会保険料が差し引かれていることを考えると、この先、年金制度が維持されるのかも不安な中、物入りな時期に、ここまで納める必要あるのかなと思ってしまいます。
とはいえ、この先の未来は、どうなるかは誰にもわかりません。一番蓋然性の高いリスクである、太平洋ベルトを直撃する大地震も、時間的にはかなりの幅を持って迫ってきており、生きている間に起こるかは不透明です。
また、日本の財政破綻も、とりあえず日銀が出口に向けて第一歩を踏み出し、今のところ、様々な外的要因もあり、物価の上昇と人手不足に引きずられるかたちで、賃金も上昇傾向にあり、負の側面だけが強かった物価上昇も変化の局面にあり、日銀の政策変更にもかかわらず、株価は高値を維持しています。
金利上昇が国債利払い額を増加させることは間違いないですが、インフレが進むことで、過去の国債発行額は相対的に小さくなり、当面は税収も増えるため、すぐに破綻ということはなさそうです。
そもそもの前提として、自分がいつまで生きるか、これが一番不透明です。今のところ、漠とした平均寿命を想定し、少なくとも人生の折り返し点を過ぎたと思ってはいますが、突然断ち切られる可能性もあり、意外と長生きできたりする可能性もあります。長生きが幸せなのかは、一概には言えませんが、積極的に命を縮めるほど、人生に悲観するような要素もないので、悩みは抱えつつも、何となく生きていくのでしょう。
結局、自分の思いも含めて将来は不確実性に満ちており、これまでの人生に比べて、相対的に様々なリスクが高まっているとはいえ、国に頼らず自主自立で生きていく、そこまでの基盤を築くのは容易ではなく、完全に寄りかかることは避けるにせよ、
少なくとも社会保障制度は、自分の後背を守る盾としての役割は果たしてくれるもの、ぐらいの認識は持って、自分が目配せするのは、視界に入る三方ぐらいに考えても、良いように思います。
天が落ちてくるようなリスクまで考えると、どうしても将来に向けた備えが過剰になり、今を生きるために使える元手が少なくなってしまいますし、かといって将来年金制度なんて崩壊すると決めてかかり、天引きをしないで今の人生に全投入するのも、自己投資の乗数効果がよほど高いものでない限り、気力体力知力が衰えた局面で、窮乏し、結果的に子供たちにも迷惑をかけることになります。
会社にいる以上、収入が上がれば相応な負担を求められる、この仕組みから逃れることはできず、天引きされた中で、生活をやりくりしていくことになります。
ただ、生活に困っているかといえば、ある程度、必要なものを適宜購入し、教育に投資しても、何とか年間の収支の中でやりくりできている状況にあり、分散投資によるボーナスを得て、それで補填をしながら、自身の学びも深め、さらには、良き因果を未来に得られるような身口意の行いに努め、不確実な未来に、備えていきたいと思います。
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