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労働とその価値 生産性とは?
アイルランドのある著名な大手スーパーに、勤続何十年というベテランの名物店員がいて、そのおばあさんの顔を見に(会いに)お客さんがやってくるという話は有名だ。
彼女は「グッドモーニング」や「ハロー」や「サンキュー」という挨拶を何十年もかかさなかったという。彼女がやったのはただそれだけのことだった。もちろん、そんな決まりきったあいさつを単に義務的に声に出していただけではもちろんないだろう。顔を見に行きたくなるくらいだから、彼女の人柄もまた大いに関係していると思う。
スーパーなど小売店の店員の生産性というと、欠品をつくらないとか、素早いレジとか、いろいろあると思うが、そうゆうのはテクノロジーによってこれからますます取って代わられていくだろう。そんな中、彼女が生み出す価値というのは、テクノロジーでは代替しようがない。
アメリカのある郵便配達夫のおじいさんが、定年退職の時、各家庭がポストをデコレーションして、彼の退職を祝ったという話があるが、これなどもその典型だろう。名物おじいさんのその笑顔が、各家庭の住人に、ただ物を運んでくれるという価値以上のものを与えていたのだ。
彼はズボンのポケットに小さな子供にあげるキャンディーを持って配達していたという。定年後何をしたい?と住人に聞かれ、ハワイでも言ってみたいねー、と言ったおじいさんに、住人たちが協力して、彼にハワイ旅行をプレゼントしたという。
一見生産性の低そうな仕事に見えても、労働の価値はその人次第で高められるという模範のような話だ。自分にできるかというと、全く自信はないが。
そういえばむかし、大手のスーパーで短期アルバイトをしたことがあるのだが、自分のやっている仕事(確か品出しだった)に少しも価値など感じていなかった。ただ、給料のために働いていただけで、言われたことをしていただけだったのだが、棚にビールを並べていたある時、通りがかったお客さんのおばあさんに、下から見上げられて突然
「ほぉー。あなたえらいねぇ」
と心から関心したように言われたことがある。はぁ?えらい?まさか!?この仕事が?と咄嗟に思ったが、今思えばずいぶん恥ずかしい事をしていたというわけだ。ある意味、このおばあさんの方が、自分よりずっと生産性が高いというべきだろう。