夜は本屋でバーボンを飲んで
「ワイルドターキーをストレートで」
「タンカレーを氷なしで」
薄くなるのが嫌で、ストレートで酒を飲むお客さんたち。本屋というより、もはや飲み屋。
「今日はオーストラリア人の腕に『がんばる』というタトゥーをいれた。笑いをこらえるのに困ったわ」
タトゥーショップで働く常連客のN君がいつものくだらない話をはじめる。このくだらない話がいつも最高で、飽きない。これは読書では決して味わえない。
「今日は恋人の名前のタトゥーをいれるってお客さんが来て、絶対別れるからやめときって言うた」
N君は優しい。いくら金になるといっても客は選んでいた。
ある学生のお客さんが
「わたし、もう死にたい」
と言ったのに、彼は、
「おう、おまえなんか生きてる価値ない」
とばっさり切り捨てていた。その女の子はびっくりして、うれしかったのか、笑っていた。彼の優しさは分かる人には分かるのだった。
彼の昔話もすこぶる面白かった。
大阪のミナミを友達と歩いていて、一升瓶を持って裸足で走ってきた女性が、なぜかN君の目の前で立ち止まって「一緒に逃げて」と言い、その女性と同棲した話とか。やくざと破茶滅茶なゴルフの話とか。ヤンキー同士のバトルの戦場となったファミレスの店長との交流とか。ダメだ。書きながらお腹がいっぱいになってきたのでここまでにしておこう。
彼は話がうまかったので、いつも笑わせられた。たいていオチがあって、人を喜ばせる天才だった。
10代の時やってしまった過ちを彼が告白したとき、その場に居合わせたほとんどの人はびっくりというより、その過ちの大きさにひいていた。その中で1人だけ
「そんな事どーでもええねん。それより彼女のこともっと大事にしーよ」
と怒るように言ったのがSさんだった。
つくづくいいお客さんに恵まれていたように思う。みんなが右と言っていても、わたしは左と言えるお客さんが多かった。いや多分、単にみんな空気が読めなかったからかもしれない。常連客に外国人が何人かいたのもあるかもしれない。
N君は「日常生活でなかなか出会うことのない人と話すことはすごく刺激になる」と言っていた。その言葉をそっくりそのまま返してやりたかった。仕事とかで日常的に出会う人というのは、案外似た人が多いものなのかもしれない。
そうこうしていると、向かいの保育園の子どもたちが夜間保育を終えて、店になだれこんでくる。一応本屋なのだということを、この時認識する。はじめは絵本なんか見ているが、そのうちに飲んでる大人達にからみはじめる。保育園で描いた、恐竜の絵を見せて回る、いつもの女の子。絵の専門家?のN君に批評してもらっていた。
お客さんにもらったスイカを真っ二つに切って、園児やお客さんとみんなでスプーンでせっせと掘りながら店先で食べたこともあった。もはや何屋か分からない。
本を売るだけが本屋ではない。物語や情報を買いにくるお客さんに、本だけを売る時代はもう終わっているのだ。たぶん。うん。たぶんね。
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