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「問いを立てる」ことから小論文作成は始まる!~小論文の定義②~

更新日:2024/11/21

 小論文・作文指導者の〆野が普段の添削・採点指導で教えている、文章作成における基本事項を紹介するのが、このシリーズ【文章作成の基本】。

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(〆野の自己紹介はこちらから見られます。)


「問いかけ」・「問いを立てること」の重要性

問題を「問題だ!」と思う意識(問題意識)がなければ「自分の意見」は生まれない。

 「論じる」とは「自分の意見に理由づけをし一つの推論として述べることである」というのは、前回別の記事でお話ししました。これは下の記事を読んでいただければ、ご理解いただけると思います。

(「論じること」とは?)

 その上で、その際に「『自分の意見』をどのように自らの中に作って提示したらよいのか」が、今回のお話しのテーマです。「『課題(課題資料と問題文)』も間違いなくしっかり読んだ、でも『自分の意見を書け』と言われても何を書いていいのかわからない」という声をよく聞きます。「課題をしっかり読み取ること」が小論文作成のスタートラインであることは、別の記事でもお話しした通りで言うまでもありません。しかし、その読み取った課題の内容について、あなたが「特に思うところがない」のだとしたら、あなたはそれに対する「自分の意見」を持ちようがなく、結果「何を書いていいかわからない」となるのは、当然のことです。では、どうしたら「自分の意見」が持てるのでしょうか。それが今回のお話しです。

(「課題」の読み取りの重要性)

 そもそも、目の前の問題に対して「問題だ!」と思わなければ、その問題に対する意見を持ちようがありません。たとえば、テレビのニュースで「イスラエルのガザ地区侵攻」や「ロシアのウクライナ侵攻」についてあなたが知ったとします。このとき、「へー、そんなことがあったんだぁ……」などとお茶の間でポテチをつまみつつのんきにそのニュースを見ていたとしたら、あなたはそれに対する「自分の意見」を持つことはおそらくできないでしょう。なぜなら、そのときのあなたは「その社会問題を『問題だ!』と思っていない」、つまり「問題意識を持っていない」からです。

 ある事象を目の当たりにしたときにそれが「問題だ!」と思う、だからこそ「私なら、その問題に対してはこう考える」と「自分の意見」が生まれるわけです。ですから、その事象に対して「問題だ!」と思わなければ、それが問題ではない以上、「そのことについて何らかの改善を求めたり何らかの解決を考えたりする必要がない」わけですから、「自分はそれについてどうも思わない」=「特にそれに対する意見がない」となってしまうのは、当然のことです。「『自分の意見を書け』と言われても何を書いていいかわからない」となっている生徒は、「問題を『問題だ!』と考える姿勢や意識が欠けている」のが原因であると言えます。したがって、小論文を書くためには、「そのことを『問題だ!』と考える意識」、つまり「問題意識」を持ってそれを養うことが必要なのです。

 英語で、「プロブレマティック(problematic)」という言葉があります。「問題のある」、「疑問の余地がある」、「問題性を感じる」、「問題提起的である」という意味です。その小論文の問題の課題で示されている「社会問題」を「プロブレマティック」なものとして受け取れないと、「それについての『自分の意見』を述べよ」と言われても、そこに「問題性」を感じない以上「何も言うことはできない(何も言う必要もない)」となるのです。ですから、まずはその課題で示されていることを「プロブレマティック」なものとして認識できるかどうかが、自分の意見を発するトリガー(引き金)として必要と言えます。

「問題意識がない」ということは「当事者意識がない」ということ。

 以前にこのような答案を見ました。テーマは「海洋環境汚染の問題」でしたが、その生徒は「SDGsとして『海の豊かさを守ろう』という目標が掲げられている。したがって海洋環境の保全に努めるべきだ。」と書いていました。この答案を見たとき、私は大変強い違和感を覚えました。

 もちろん、その違和感とは、「因果関係のとらえ違いによって適切に理由づけが成されていないこと」によるものです。「そういう目標があるから、環境保全に努めるべきだ」というのは因果関係が逆転しています。そうではなく、そもそも開発に伴って海洋環境が汚染されることでその環境の保全が難しくなっておりそれを問題視したため、SDGsの目標の一つとして挙げられているのです。ですから、「そういう目標があるから、みんなで守りましょう。」では、問題の内容に一切立ち入っておらず、ただ「ルールを守ることの重要性」を述べているだけの話となってしまいます。

 また、そうした「それはルールなので、みんな守ろうね」という物言いや考え方を一般的に「教条主義」と言いますが、それは、その「海洋環境汚染の問題」について何が問題なのかがわかっていないことの裏返しとも言えます。たしかにSDGsは、2016年から2030年の15年間で達成すべき「世界共通の目標」として、2015年に国連で開催された「持続可能な開発サミット」において、国連加盟国の全193カ国によって採択されたという経緯があります。しかし、それを踏まえて「こういうことで世界全体で決めた取り決めだから、みんなそれを守りましょう」というスローガン的な話で終えるのは、それらの問題に対して適切な問題意識と理解が持てておらず、ただしゃくし定規に「全世界(圧倒的多数派という権威)で決めたルール(教条)だから守るべき」と言っていることと同じです。そこには何の「問題意識」もありません。なぜそれが持続可能な開発目標の一つとして掲げられルール化されるに至ったのか、つまりそれがなぜ問題なのかが考えられていません。
 
 さらに言えば、このように「問題意識がない」ということは、「当事者意識がない」ということとも言い換えられます。なぜそれが「環境『問題』」なのかについての問いかけがないのは、それをどこかで「他人事」として考えているからであり、また「他人事」であるからこそそこに何の問題性も感じないのです。だから、結果ここで言えることとして「こういうルールだから守ってね」という、まるで風紀委員が「校則だから守ってね」というような教条的で表層的な意見しか出てこないのです。どこかで、「向こうの岸の方で火事になっているね。ほぉ、そりゃ大変だ。」と「対岸の火事」として見物しているような感覚でいるから、それを問題とも思わないし思えないのではないでしょうか。これがもし「自分の家が火事」であったら、それは「大きな問題」として「自分ごと」として意識されるはずです。そしてそのとき、「その火事はどこが問題(原因)か、それを解決するにはどうするべきか」、あなたは必死になって考えるはずです。

 小論文では、多くの「社会問題」がテーマとして出題されます。それについて、あなたが自分の意見を適切に持てないとしたら、もちろんそのテーマに関する知識や理解も必要ですが、それ以上に、そもそもその問題の何かが問題なのか「我が事」として考えられていないということが原因なのかもしれません。

まとめ ~普段から問いを立て問いかけるための「問題意識」を醸成しよう。~

 一般的に小論文の対策勉強の一つとして、「普段からテレビやネットのニュース、または新聞に目を通し、社会問題についての理解を深めましょう」といったように、現代の社会問題に対する理解を進める学習が推奨されます。もちろん、前述でも明らかなように小論文のテーマとして出題されるのは現実の社会問題がほとんどであるため、日頃から社会ニュースにふれその知識を得ておくことは大変大事なことです。私も普段そのように生徒には指導しています。しかし、それ以上に重要なことは、その際に、「そうした社会問題に対してしっかりと問題意識を持って対峙すること」です。その社会問題について正しく理解した上で、その事象が自分の生活や世界にどのような影響や問題を与えるのか、考えてみてください。こうした「問題意識」や「当事者意識」がないまま新聞やネットニュースなどに目を通しても、それは小論文の対策勉強として有効なものになりません。普段から「問いを立て、自分の意見を提示する」ための「問題意識」と「当事者意識」をその学習の中で醸成していくとよいでしょう。

〈参考資料〉
Wikipedia「持続可能な開発目標」

(ズバリ!「問いの立て方」についての一冊。やや大人向け。)

(「問いの立て方」から「自分の意見の導き出し方」をトレーニングしたければ、こちらの本がオススメ。フランスの高校生たちが受験する高校卒業認定試験(バカロレア)の哲学科目対策をアレンジした5つのステップで、問いを立てて自分の意見を述べるまでを段階的に学ぶことができます。)


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〆野 友介 | 教育系noter | 小論文・作文指導者| 志望理由書の作成指導も |
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