自由を選ぶなら、周りの人の自由も選ぶということ。
ホッとひと息。祝日のららぽーと。
さっき車で見た動画の感動を
自分の中から出したい。
小さな頃の自由な自己表現を
大人の言葉で封じ込めた女性。
それからは
「役に立つ、受け入れられる」
表現のみをOKとし、
自然に湧いてくるものの80%は
「表現しない、封じ込める」を選んで生きている。
そこでの言葉にハッとした。
「自分の表現をどう思ってる?」
「悪くはないと思うんですが…」
「悪くないって、どういうこと?
誰にどう、悪くないの?」
「…」
「受け入れられたいんだね」
「誰がどう思うかは、こちらではコントロールできないもの。表現は自分の命の喜びのため。」
「相手がそれをどう感じ、何を言うかは相手の自己表現。自分に自由な自己表現を許せば、相手の自由な表現も気にならなくなる。」
私も恐れてることがある。
相手に否定されること。
自分の本当の望みを話したら否定されるだろう。
「否定されるだろう」
この動画のように自分でやっていくと、
「否定されると自分で思ってるんだね?」
「はい。」
「否定された何がイヤなの?」
「否定されたら…心が萎縮する」
「なんで相手は否定すると思ってる?」
「自分の思い通りじゃないから」
「思い通りにさせたいと思ってると思ってるんだね」
「はい」
「そう思うなら、あなたの行動は、その相手が否定しないこと、相手の思いの中なら動いていいと思ってるんだね」
「はい。そうなってる…」
「だったらそれでもいいじゃん。その中で安心して生きられるなら、それを生きたらいいじゃん。と言われたらどんな感じ?」
「それはいやだ!本当は自由に生きたい。気を使わずに、自由に自分の好きなことを生きたい。楽しみたい」
「そうだよね。それが本当の望みだからこそ、そこに苦しむようになってるから。今まではその中で、なんだかんだ言っても守られていたんだよ。良いことも沢山あったんだよ。」
「それはそれで良かったんだよ。ありがたいことだよ。その体験は必要だったんだよ。今フェーズが変わるとき。
あなたが自由を選ぶなら、相手の自由も受け入れると決めよう。相手がどんな反応をしても、それは相手の自由だから。」
おぉー。なんだか思い込みが外れたような気がする。怖がらなくていいんだ。それと同時に怖くてもいい。大丈夫。私は私の命を生ききりたいから。
私自身が、自由になる。
そうしたら、私の周りの人たちの解放に繋がる。
いまは、子どもたちも、私の想いが縛ってる状態なんだ。
おそれのままに、本当に本当に、
本心だけを生きると決める。