「こんな自分を責める生き方じゃなく、自分らしく自由に生きてみたい。」
人生のダークサイドにおちて10年。。
祖母の家にお世話になって、ほぼ起き上がることもできず寝ている生活が続きました。
そんなとき、ついに何を食べても吐いてしまうようになります。
身体が食べ物を受付なくなったのです。
唯一食べれたのは、ウィダーINゼリー。
あと朝バナナ(笑)
体重も40キロをきっていました。
食べてないから当然です。
このままいけば、近いうちに本当に自分は死んでしまう、
身体の限界を直感で感じ取ったのです。
死にたい死にたいと思い、自分を責め、周りを責めていたのに
本当にこのままだと死んでしまうかもしれない。
そう思ったとき、このまま死んだら一体何のために自分は生まれてきたんだろう。人生に何も見いだせないまま死にたくない。。
「やっぱり生きたい。。」
「こんな自分を責める生き方じゃなく、自分らしく自由に生きてみたい。」
そう心境に変化がありました。
もしかしたら、そうするにはすべては遅すぎたのかもしれないけど。
そんな時、母が訪ねてきて、こんな話をされました。
「自分を立て直すためには、まずは薬を止めないと!」涙ながらにそう言ってくれたのは母でした。
自分のやりたいことを勝手にやって、その結果がこのあり様。
会うとケンカばかりで自分がこうなったのをどこか両親のせいにしていました。
医者にも何者にもなっていない自分が邪魔だから口うるさく、疎まれているのだと思っていました。
だけど、母の涙を見て、愛されていることにいまさら気づいたんです。
迷惑ばかりかけてきたし、絶対に薬をやめてやろう、そう心に決めました。
母の力をかり、薬をやめるために上京。
東京に抗うつ剤を減らすための専門の唯一の精神科外来があります。抗うつ剤を漢方に置き換かえて減らしていくのだそう。
いままで何度か自力で抜こうとしたことがあったけど、途中で苦しくなり断念。。
これだったらできるかも。
やる気がみなぎっていました。
その病院には、僕のように精神薬をやめられない人達がたくさんいました。どんよりとした待合室の重い空気が、薬を減らす大変さを物語っていました。
外来の受付から衝撃の一言が。
受付「受診まで3年待ちです。」
僕「??」母「??」
僕&母「またまたぁ!」
親子でハモってしまったのはこれがはじめて。
「なんちゃって、ウソびょん!」て言われても、いまだったら許すよ?完全に許すから。早く行っちゃいなよYOU!妙な圧をかけながら、あえてボケて聞きなおしました。
僕「3か月ではなくて?」
受付「いえ、ですから3年です。」
真顔で返答。
見えないジャブを50発くらいました。
二人で顔を見合わせ、どうしようという感じになりましたね(苦笑)
3か月待ちでも長いのに3年だと!?
そんなに待っていたら、身体がもたない。
冗談じゃない、せっかく最後の気力をしぼってきたんだから、絶対に薬をやめたい。
母「どうする?3年も待てないよね…」
母が探してくれた病院で日本で唯一薬を抜ける可能性があると意気込んでいたので、思いのほかダメージは大きそうに見えました。
僕「決めた、もう自力でやめるよ。3年待ってたらオレ死んじゃうもん。大丈夫なんとかなる。大丈夫なんとかする。」
母「わかった、母さんも協力するから一緒に乗り切ろう。」
人生のラストチャンス。やるっきゃない。
オレならできる
オレならできる
オレならできる
何度も自分に言い聞かせました。
父は
「アイツはもうダメだ。薬をやめることはできない。」
そういっていたそうです。
母は心ない発言に怒っていましたが、
これだけの期間、薬を飲んで、
やめられた患者を診たことがないそうです。
自分との死闘がはじまった。
父の知り合いの精神科医の指示のもと少しずつ抜いていくことにしました。
減薬がはじまってすぐ、父倒れる。
仙台の父の勤務している病院から、電話があり父が下血したそう。
急を要するからすぐに帰ってきて世話をしてほしい。なんで、大事なタイミングは重なるんだろう。
母は、父の看病のため、仙台に帰ることに。
「近くにいられなくてごめんね、母さんは帰って父さんの看病をしなければいけないから、頑張るんだよ!」そう言って仙台に戻っていきました。
父も頑張っているのだから、オレも頑張らなきゃ。
薬を抜き始めたのは、忘れもしない2/14日のバレンタインデー。
最初の10錠までは、特に苦しくもなく楽勝だった。
「全然楽勝じゃん!」
案外簡単に抜けるんじゃないかと余裕をかましていました。
映画見たりしながら、次の診察の時、もっと減らしてもらおうなんて考えていた。
でも、そんな簡単はずはなく、地獄のような苦しみが待っていたのです。
ある強い薬を減らしたとたんヤツは襲ってきました。
一日中全身が痛み、視界、音まで歪んで聴こえてしまい、身体の震えがとまらず、痛みで眠ることもできなくなった。
いつも首をしめられているように苦しく、誰かにいつも殴られているような頭痛がやむことはありません。寝ると呼吸が苦しくて横になれないからソファーに寄っかかって軽く寝る。
「なんか苦しいな。。」
そう気づいた時に、自分の呼吸が止まっていることに気づきました。
普段、無意識でしている呼吸が
意識をしないと止まってしまうのは恐怖でした。
こんな状態が半年続き、数時間眠ったときが唯一痛みを忘れられる時でした。
立ってもふらふらで、嵐の船の上で揺られているようでした。
この苦しい時期を乗り越えれば、きっと楽になっていくはず。。そう思っていたのですがよくなることはなく、苦しさは増すばかり。。
この苦しみから逃れようと、何度薬に手を伸ばそうとしたかわかりません。
「やっぱりオレには無理だ。。できるはずがない。。」
でも、飲んだらまた元の廃人に戻るだけ。
あそこには何もなかった。
絶対に戻りたくなかったんです。
整体や自然療法も試しましたが、一時楽になるものの、すぐに戻ってしまいました。
カウンセラーからカウンセリングを受けたりもしましたが、まったく無意味。
何をしてもダメ。
こんなに身体がボロボロになるまで、自分で気づかなかった。
仙台にいたときの精神科の先生から言われた言葉。
「心は嘘をつくが、身体はうそをつかない。」
身をもって知ることになりました。
身体は、回復しようと頑張ってくれている。
心臓の鼓動は早く、全身を治すために必死で動いてくれているようでした。
自分でボロボロにしたのに。。
苦しみの中で、まるで自分以外の誰かにするように、自分の身体に何度も謝っていました。
「ごめん、こんなになるまで薬飲んじゃって。
生きようとしてくれてありがとう、ありがとう、ありがとう。」
自分に対してありがとうと言ったのは、この時が初めてだったかもしれません。
ずっと自分を責めて生きてきたから。
そんな苦しみが続く中、ヒーラーという職業の方と出会いました。
当時流行っていたmixi。懐かしいですね(笑)
僕のこの状況を見かねて、メッセージをくれたんです。
DNAアクティベーションを受けてみませんか?
スピリチュアル系は全く信じていなく、むしろアンチでした。
でも、ワラにもすがる思いで、少しでも今を乗り越える手助けになれば...そんなかすかな望みにかけてDNAアクティベーションを受けてみることにしました。
当時外にはでることができなかったので、自宅まで来てもらったのですが、怪しさもなく気さくな人で安心しました。
DNAアクティベーションはDNAが活性化するらしい。もしかしたら、身体の復活の手助けになるかもしれない。
セッションはとても不思議なものでした。
身体に何が起きているんだ?
最初はよくわからなかったけど、途中から身体が熱くなりました。手を触れてもいないのに。
薬を飲んでから、あまり汗をかくことがなくなっていたのですが、途中からいきなり汗をかき始めたのを覚えています。もちろん暑い季節ではありません。
そのあと、何をやってもダメだった全身の痛みが和らぎ、精神面でも闇の中に一筋の光を照らされたようで前向きになっていったのをいまでもよく覚えています。
何が起きているかはわからないけど、すごいかも。
「た、助かったぁ!!!」
ここから、快進撃がはじまります。
DNAアクティベーションは僕の身体には、よく効いたので定期的に受けてみることにしました。
その間も薬をどんどん減らし、8か月後には、すべてやめることができたのです。最後の最後まで抜けなかったのは睡眠薬でした。
薬をやめていけばいくほど、自分の感情を取り戻していきました。
自分の中で破裂しそうになっていた感情が一つずつクリアになっていき、
生き方が180度変わりました。
あ..僕は生きててもいいんだ...
そう感じたときから自分に対しての癒しが始まりました。
苦しかった多くの感情は、自分らしさを閉じ込めてしまったためにできたものでした。
そして、それを選んでしまっていたのが、自分自身だったことにも気づきました。
これは正直、ちょっと痛かった(苦笑)
本当の自分として生きること。
それは育った環境でもなく、
周りの誰かに作られた自分でもない。
我慢していきることではなく
あるがままの自分でいること。
自由と喜びを感じながら生きるということ。
自分の成長を感じながら、新たな自分に出会う。
今はやっと生きることを楽しめています。
ずっとできなかったピアノも再開し、
昨年ワンマンライブも成功させました。
ぼくは、形而上学という学問を勉強しています。DNAアクティベーションには思入れがあるので、自分でもできるようになりたくてヒーラーセラピストの勉強も始めました。
形而上学は、自分が何者であるかを探求する学問。
3000年前から伝わる自分を“高み”へと導くためのコンパス。道しるべです。
自分は何者で、何をするために生まれてきたのか?
すべての答えは、自分自身の中にしかありません。
この経験から自分しか伝えられないものがあると思っています。
4回にわけて僕の過去の経験をお話させていただきました。お読みいただきありがとうございました。