漂えど沈まず。
「たゆたえどしずまず」と読みます。「ただよえど」だと思ってました。
どんなに揺さぶられ、波に翻弄されて漂っている状態だとしても、沈まなければ復活できる。という意味です。
パリ市の標語になっている言葉ですが、人生に置き換えて考えてみると、辛い時やうまくいかない時、全て投げ出したい時もあるけど、そこに飲まれなければ大丈夫、這いあがろうとすれば復活できるという力強い言葉で、僕は好きです。
人生なるべく、いい事だけ、楽しいことだけが起きてくれればいいのだけど、そういうわけにはいきません。苦しいこと、つらいことも同じように起きてしまいます。
這い上がろうとする気力があるうちはいいのですが、苦しい期間が長いと這い上がることを忘れてしまう時があります。
それが、自分を諦めた時です。
もういい、全部やめた。
自分なんて所詮この程度。
自分を信じられなくなり、這い上がることを諦めてしまう、僕にも昔そんな時期がありました。
ある意味諦めている時というのは、その場から動かなくていい理由になるので楽です。ただゆらゆらと周りに流されて、揺れているだけ。
でも、ある時、
このままここにいても何もないってことに気付いてしまったんです。
このまま死んだら、絶対に後悔する。もう流されるのはやめて、変わろう。たとえ大変だとしても、自分を諦めることはやめようと思ったんです。
望むこと、やりたいことをやれる人生。自分が変わっていくのは大変な時もあるけど、留まることは選ばない、そう決めたんです。
こう心に決めることができたのは、「漂えど」の時期があったからです。人生の苦しい時期は自分の生き方を方向転換するチャンスなのかもしれません。
あの苦しい時期があったから、沈まなく(諦めることなく)なったのだと思います。そういう意味では、あの苦しかった時期に感謝しています。
今でももちろん大変なことは起きますが、たとえうまくいかなくても、すぐに結果はでなくても、先を見据えて行動し続ける。自分の望む生き方を生きるために。
そんな時は、「漂えど沈まず。」今でも、この言葉が僕の中に響きます。