
エッセイ|東京駅 - Tokyo Sanctuary
あなたにとって、ときどき行きたくてたまらなくなる安らぎの場所は?とか 懐かしい場所は?と訊かれたら、どこをあげるだろうか。

まえにテレビかなにかで聞いたことがある。人が、新幹線の停車する駅が好きなのは、故郷に近い場所だからということを。
それでだろうか、わたしのばあい、30年前に東京に出てきてから休日になると東京駅に出かけることが多かった。これといって用があるわけではない。東京駅を行き来する人たちの「これから旅立つ」感じが好きなのである。
かつてのお決まりのコースは、まず八重洲側に出て、八重洲ブックセンターの入り口にある「話題の本」あたりを見てまわる。それから文庫本のある5階まで一気に上がり、どんな本があるのかをチェックしながら、一階ずつ下りてくる。それから中二階になっている喫茶室でその日に買った本を読み、読みながらすこし遅めのランチをとったり、ホットケーキでお茶をするのだ。
1階全体を見おろすつくりの喫茶室で、何も特別なことはないのに、ここのスパゲッティーとかサンドイッチって何故だか妙に旨かった。
しかしその八重洲ブックセンター本店も、2023年3月31日をもって閉店に。八重洲の開発事業のためで、2028年に同じ場所に建つ超高層大規模複合ビルに、新たな店舗を出す予定だという。
いつしか本を読まなくなって足が遠のいていたわたしも、閉店するとなるとさびしくて、残されたわずかな期間にまた時おり通うようになった。(求める本は以前とちがい、ハウツー本ばかりではあったのだけど)。
久しぶりに訪れた店内は、まえに比べて少し静かになった気がした。中二階の喫茶室も、遠ざかっていたあいだにドトールに変わっていた。
***
八重洲ブックセンター本店が閉店してからは、八重洲とは東京駅をはさんで反対側の、丸の内に行くようになった。丸善である。
ただ、丸の内という地域自体がわたしにはすこし敷居が高い。イルミネーションで飾られ、上品なブティックとか宝飾店が軒を連ねている街はよそよそしくて、自分の肌になじまない。
話はそれるが、東京の丸ビルを初めて見たとき、「建物が丸くない」ことに驚いた西日本の人は、少なくないのではないだろうか? 大阪のマルビルは、建物自体が丸い。円筒形だ。それに対して東京の丸ビルは、丸の内にあるから丸ビルというらしい。東京生まれにとっては当然すぎる話だろうけど、大阪のマルビルを知っている人は、東京の「四角い」形を見て、場所を間違えたと思ってしまう。(いまちょっと調べて驚いたのだが、大阪のマルビルは建て替えのため解体された。今年から建設工事が始まるようだが、円筒形の形状は変わらずに継承されるとのこと 。それと、大阪は「丸ビル」ではなく「マルビル」であることもいま知った。オドロキだ)。
さてさて。閑話休題。
先日のことだが、どうしても小説が読みたくなって、この丸善 丸の内へと出かけたときのことである。
文庫本のコーナーでどの本を読むべきか、どうしても決められずにいた。まぁ何年も文庫を読まずにいたから、そのあいだに知らない作家さんが増えに増えて、見当がつかなくなったということはある。
でも、それだけでもなかった。
キャスター付きのフリーステップ(小さい階段状のやつ)がなければ、上段に手が届かないような棚と棚とのあいだに立ったとき、それらの本の重み…夥しい数の小説に描かれた、あらゆる人物の人生とか苦悩の重みに押しつぶされるような気がして、しんどくなってしまったのだ。
どれにしようかと悩んでいるあいだ、「読みたい」気持ちが、「読まなきゃ」という気持ちに変わり、汗が滲みはじめ、ついには我慢がきかなくなって何も買えずに店を出た。
もう、文庫を選ぶこともできなくなってしまったのか…。もしや、“廊下”現象? もう本屋で、買い物はできないのか?
認めたくなくて、ムダに終わると知ってはいたけど、八重洲ブックセンター本店の開店時期を確かめずにはいられなかったのである。
すると ―――
なんと! 驚いたことに、すでに八重洲に完成していた!
と思ったが、ちがった。大規模複合ビルに開店する店舗ではなく、八重洲ブックセンター グランスタ八重洲店のことだった。売り場面積72坪。知らなかったが、東京駅グランスタの地下に比較的こじんまりした店舗があるらしい。開札を通らなくていいエリアに2024年6月にオープンした店だ。
2023年3月末をもって営業を終了した「八重洲本店」(当街区に2028年度竣工予定の大規模複合ビルへの出店を計画)のレガシーを継ぐ新店舗が、東京駅八重洲口直結の「グランスタ八重洲」に誕生します。
八重洲ブックセンター グランスタ八重洲店。行ってみると、入り口にある話題本のコーナーのところからすでに、あなたの欲しかった本、これでしょう? 知ってたわよ、といわんばかりのセレクトなのである。気になっていたけど読む機会のなかった文庫本が何冊も、ほれほれ、これでしょう? これが読みたかったんでしょう? ほれほれ、ほれほれと、文庫本の棚からも魅惑の表情で呼びかけてくる。あ、それもあるの? だったらちょっと読んでみようかな的な、そそられる品ぞろえでもある。新しいとか、古いとか関係ない。どうやったのかは知らないけれど、こちらの属性にピタリと嵌めてきている店だった。買い物カゴに一気に5冊が入った。
―――お!? ちょっと背伸びすれば、届くやん!
という、棚上段のアクセシビリティも好ましい。なんというか、その、親しみのもてる感じ。そういう雰囲気だって、本屋には大事だと思う。
買いものカゴの5冊は、そのまま“お買い上げ”へ。恥ずかしいけれど思いきって、下にタイトルを記しておく:
「青い壺」 有吉佐和子
「シャイロックの子供たち」 池井戸潤
「すべての、白いものたちの」 ハン・ガン(斎藤真理子 訳)
「テロリストのパラソル」 藤原伊織
「ブレイブ・ストーリー 上」 宮部みゆき
その1週間後、あらためて丸善 丸の内へ行ってみた。というのも、なぜ丸善では八重洲ブックセンターのような勢いで選ぶことができなかったのか、それが気になっていたからだ。自分なりに少し考察がしたかった。
エスカレーターで3階に上がると、明らかに照明が暗くなる。もしかしたらこの高級感が苦手なのだろうか? ワンフロアが広すぎるということも? いやいや、もしかしたら充実しきっていそうな専門書コーナーから発せられてくる空気圧に、わたしみたいなフツーの人は気圧されてしまうのか…?などと考えつつ、文庫コーナーへと向かう。
すると、今度はあら不思議。買い物カゴに、なんともあっさり5冊が入ってしまったではないか。
丸善にも、気になってはいたが読む機会のなかった本が並んでいた。あ、それもあるの? だったらちょっと読んでみようかな的な、品ぞろえでもある。大規模書店なんだから、言ってみれば当然である。
だけれど大規模書店であることが逆に、いきなり選び出すのを難しくしていたのだろう。あの物量であれば、そうなってしまう。
今回は、平積みになった吉田修一さんの「国宝」上下巻の表紙が吉沢亮クンであるのを最初に目にして、それが購買意欲の引き金になったのかもしれない。
それと、1週間前に八重洲ブックセンターでの買い物を経て、久かたぶりで文庫本にいくぶんか慣れていたことで、本に向かう心の準備が整ったこともあったかもしれない。じわじわと効いてくる、そういう効果もあったのだろう。
買いものカゴの5冊は、これまたそのまま“お買い上げ”へ。ちなみにタイトルは:
「さるのこしかけ」 さくらももこ
「ジャイロスコープ」 伊坂幸太郎
「ミーナの行進」 小川洋子
「無私の日本人」 磯田道史
「もものかんづめ」 さくらももこ
なぜか、ここに吉田修一さんの「国宝」は入っていない。(それはまた今度、じっくりと読む)。
セレクトに共通性があんまり無いが、ひとつ気づいたのは、「シャイロックの子供たち」と「ジャイロスコープ」。もしかしたらわたしは、この「シャイロ」やら「ジャイロ」やらいう音に弱く、タイトル買いするクセがあるのかもしれないな。それと、10冊のうち5冊のタイトルにカタカナが入っていた。それって確率としてはどうなんだろ? 心理学とか行動経済学の専門家には、ピンとくることがあるかもしれない。
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それにしても先週1週間は、仕事でかつてない経験と緊張を強いられて疲れきった。その気になれば、週末の二日くらい昏々と眠り続けられるにちがいないと思うほど。そんな状態で金曜日の業務が終わり、いくつかの失敗で落ち込んだこともあって、すぐ帰宅する気になれずに東京駅へと向かった。丸の内ポイントアプリですかさずチェックイン。そして、丸善 丸の内に寄って4階のレストランで大食いをした。磯田道史さんの「無私の日本人」を読みながら。そこには、あまりにも美しい日本語があった。
こういう疲れ果てたようなときに、やはりどうしても東京駅に行きたくなってしまう。そういうところが、わたしにはある。
(了)