エッセイ|影響を受けやすい
美意識は、爪にあらわれるという。
うー、たしかにその通りだ。みとめざるをえない。
わたしなどは朝食にブドウを食べて、出社後しばらくして爪が黒くなっているのに気づくことがある。ハッ!として慌てて周りに視線を走らせるなんて、よくある話だ。
冬になれば、これが黄色に染まりだす。季節の果物の色だと言えば、すこしだけ聞こえがいい。
清潔感は髪にでるというが、あー、これもまったくその通り。みとめざるをえない。
恥ずかしながら会社の洗面所で寝グセに気づくことがあって、手で撫でつけたり耳に引っ掛けてみたりする。でも、そんなのでは3分ともたないじゃない? 結局その日じゅう(寝グセに気づいていないのです)という顔をしてとおす。
そういう風だから、”女子力”には後ろめたさをもっている。
20代後半に2年だけ勤めた会社は女の園だった。社員の70%は、女性だったと思う。
そのころ、注目している二人のセンパイがいた。どちらも40代で、ちょっと真似できないと思うくらい身ぎれいにされていたのだ。
二人の着こなしスタイルは、とても質の良いオーソドックスなお洋服をほんの数枚だけ、2~3日間隔で着回すというもの。
たいていワンピースやスーツなのだが、上品な白いセーターにはこの上質なスカートを…という決まったコーディネーションもあって、決められた組み合わせを貫いていた。とっかえひっかえするなど、ありえない。
そうなのだ。洋服を10着しか持たないというフランス人を、地でいく二人だったのである。だから後年あの本が流行ったとき、(それ知ってる)と思った。日本人だけど。
すごいのは(そして不思議だったのは)、ヘビーローテで着回されている二人のお洋服が、ちっともくたびれた感じにならないこと。むしろピシッ、シャキッ。で、当然ながら汚れなど無く、いつ見ても“新品のおろしたてですけど”、的な清潔感。
――― いつクリーニングしているんだろう?
と思う。爪もキレイ。お化粧もキチン。髪が跳ねているところなど見たことがない。
二人のうち一人のかたに、「いつもキレイにしていらっしゃるんですね」と声をかけたことがある。すると、
「あのね、私ぐらいの年齢になると、ちゃんとしていないと皆さんのご迷惑になるのよ」
と返された。
20代だったわたしは、
――― 自分も年齢を重ねたときには、こういう人になりたい!
と思ったものだ。
それなのに。
言うは易く行うは難し、である。
この謙虚なセンパイとは部署も違うし接点もあまりなかったが、当時、最寄り駅が同じだったのでいっしょに夕食に行ったことがある。
その日の帰りにご自宅にうかがったら、お部屋もお洋服と同じようにキチンとしていた。けっして新しいとはいえないアパートだったが、一人暮らしするにはゆったりとした広さ。金魚の大きな水槽があって、お気に入りのお茶をごちそうしてくださったことを覚えている。
贅沢さはないけれど、ていねいに整えられた、心地のよい空間だった。
部屋は、心の状態をあらわすのだそうだ。
いまわたしの部屋は、とりたててどうということのない状態である。物があまりないから、散らかりようもない。(戸棚など見えないところがゴタゴタしているのには、とりあえず目をつぶっている)。
思うに、テレビで紹介されるような“凄い”ことになっている部屋だって、居住者によほどのエネルギーがなければああはなるまい。(うひゃ~)と眉をひそめつつ、心のどこかで感嘆している自分がいる。
うちは片づけるにしても散らかすにしても、中途半端。うっすらホコリが…とか、ソファーの上に取り込んだ洗濯物が山になるとか、テーブルにレシートが置きっぱなしだとか。至極ふつうで、ありきたりなレベル、だと思うのだけど?
それでも気持ちがスッキリしない程度であることにはちがいない。
もともとヘンに潔癖症(?)なところがあって隅々までキッチリ掃除したいのに、忙しかったり疲れて思うようにできないので、余計に気になっている。
***
”美意識”について、ずっと以前に「K-BALLET TOKYO」の熊川哲也氏がテレビで語っていたことがあった。ご自宅を完璧にキレイにしているという話になって、(あー、そういう感じするなぁ)と思いながら聞いていたとき、こう力説されたのだ。
「芸術や美にかかわる仕事をしている人が、家を散らかしたり汚したりするなんてありえません。部屋がきれいじゃない人に、芸術や美に関わる仕事なんて出来ないですよ」
(ビクッ!)
べつに、“美”や“芸術”にかかわる仕事をしているわけではないけれど、それからというもの、部屋が乱れてくると不機嫌な熊川氏が右ななめ後ろから現れて、「ありえませんね」「なんですか、この部屋は」「あなたに芸術はムリです」などと、辛らつに注意してくるようになった。誤解があるといけないので念のためいっておくが、想像上の話である。
とりたててファンというわけではない。しかし世界に通用する美意識のもち主で、しかもほぼ同年齢。だから気になるし、崇めないわけにいかないのだ。
掃除が終わるころ、意識的に熊川氏を脳内へ呼びだすこともある。すると、「ほら、あそこ。あの塵が気にならないんですか?」「あーもう。やり直すほかありませんね」などと皮肉な指摘が飛んでくる。
しかし最近は忙しさのあまり、熊川氏が覗いてきても幕をシャッ!と閉じることが増えた。
―――スミマセンが、わたしのことはしばらく放っておいてくれませんか。
という気分なのだ。
「そうですか。もう、どうなっても知りませんよ。好きにすればいいですよ、好きにすれば ―――」
さて、仕事がまた一山越えていったん落ち着いたので、気分転換にK-BALLETの公演を観にいった。コマーシャルで見た『マーメイド』というやつだ。
誤解のないように念のためいっておくが、こちらは現実の話である。
失意の人魚姫が泡になってゆくシーンが、客席から舞台へと吸い込まれそうになるくらい美しかった。
――― こういう表現になるんだ。現実の熊川氏の美意識では。
その帰り、ゴタついた渋谷の雑踏がまったく苦にならなかった。どうしても必要なときだけ駆けて通る渋谷駅界隈を、夢見心地でゆっくり歩く。派手なネオンとはかけ離れた『マーメイド』の世界のなかを…
うちに帰り着くと、スッキリと片づけたい気持ちが自然にわいてきた。そして、仕事がひと段落着いたらやりたいと思うことを、少しずつノートに書き留めておいたのを思い出した。
――― たしか部屋を「クローゼットの中から全部キレイにする」、っていうのもあったと思うけど。他には何て書いてあったっけ?
すぐに忘れてしまうから、思いつくたびに記録しておいたのである。
ノートを開くと、一番最初に、
「ネイルサロンに行く」
と書いてあった。
(…と、ここで話を終えようと思っていたが、それではスッキリしないので、もうちょっとだけ続けよう)
そうそう、まずは爪をキレイにするところから。
…って、なんかそうじゃない。いまの気分は。
ネイルとか、部屋の片づけっていうよりも。
何よりも、いましばらく他のことを考えず、ただこの余韻に浸っていたい…
…そうだ。もうしばらくあの美の世界に浸っていたい。
あの美の世界に、もっと浸っていたいのだ。
※『マーメイド』の公演は映画化されて、12/6(金)から上映になります。
※K-BALLET TOKYO Winter 2024と2025公演:『くるみ割り人形』と『シンデレラ』のリンクも下に貼っておきますので、ご興味のある方はどうぞ。