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「ギバー」になりたくてもなれそうにない話

 世の中の人間を「ギバー」「テイカー」「マッチャー」に分けたとき、自分はどこに属するのだろうか。
 自分は恐らく「マッチャー」だと思っている。「テイカー」ではないと思いたい。「ギバー」にはなりたいが、正直なれそうもない。が、別になれなくてもいいかもしれない。
 今日はそんな話をしたい。


そもそも何の話や

 当たり前のように「ギバー」「テイカー」「マッチャー」なんて使い出して面食らった方も居ただろうか。自分の中で常識だろ! と思っていたことが案外そうでないこともあるので、一応解説をば。
「ギバー」「テイカー」「マッチャー」という三つの分類は、組織心理学者であるアダム・グラント氏が提唱し始めたものだ。人間の行動や思考のパターンはこの三種類に分けることが出来るのだそうだ。書籍になっていたりTEDの講演動画がYoutube上にあったりするからご存知の方も多いことだろう。
「ギバー」とは、その名の通り与える人である。見返りを求めず、どうしたら他者の利益になるかを常に考えている。ただし「ギバー」の中にも自己犠牲的献身をして自分の身を滅ぼしてしまう人と、自分の利益も確保した上で他者の利益も求める、という他者思考的献身をする人の2パターン居るらしい。前者は苦労しやすく、後者は成功しやすい。
 続いて「テイカー」はといえば、これまた文字通り奪う人のことである。人間社会は競争で出来ていると考え、常に自分が有利になるように立ち回り、利を得ることばかり考えている。といっても常に競争意識剥き出しかというとそういう訳でもなく、羊の群れの中で擬態し正体を隠して立ち回る狐のような、狡猾な輩も居るので判断が難しい。
 最後に「マッチャー」。こちらは与えられたら与えるけれど、与えても返さない人には何もしないという人である。半分以上はこの「マッチャー」に属するらしい。他者思考的「ギバー」はこの「マッチャー」に擬態して「テイカー」をやり過ごすこともあって、この二種もまた見極めが難しい。

「ギバー」か「テイカー」か簡単に判断出来る方法(簡単じゃない)

 TEDの講演において、簡単な質問に答えることで自分がどちらに属するか判断できると仰っていた。私にとっては全く簡単ではないが。
 その質問とは、「貴方が影響を与えた人物を四人挙げてください」というものだ。貴方は誰を思い浮かべるだろうか? 少し行間を設けるので、少し考えてみて欲しい。






 それでは回答といこう。
 この質問に於いて、自分より地位や影響力の高い人の名を挙げれば「テイカー」、反対に地位や影響力の低い人の名を挙げれば「ギバー」であるらしい。
 簡単だと思った方。素晴らしい人生をお過ごしだ。大層羨ましい。
 どこが簡単やねんボケ! と思った方。仲間だ。歓迎しよう。
 ……という訳で私はこの方法では全く判別出来なかった。ミジンコ以下の影響力ではしょうがない。
 自分の理屈で言えば、与えられていないのにどうして返さければならない? という思考なのできっと「マッチャー」なのだろう。そう思って過ごしている。

「ギバー」に憧れないでもない

 そんな私とて優しくて親切な人に憧れがないでもない。優しさも親切も往々にして「INTJ的な」という枕詞が付随してしまうが。
 特に職場において、常にアンテナを張って気を配っておいた方が円滑に仕事が進む。「今あれをしているということは次これが必要だろうから、代わりに用意しておこう」「今私は手が空いているし、向こうはまだ仕事を始めて日が浅いから私がやっておこう」とか、色々考えて行動を起こしている。これらは全て私のお節介であり、見返りを求めている訳ではない。必要だからしているだけだ。
 ……が、あまりに当たり前のような顔をされると流石に腹が立つ。
「無くなったから用意しておいたよ」「代わりにやっといたよ」こんなことわざわざ言わないし、言えない。そんな恩着せがましいことは出来ない。かつて散々恩着せがましいことを言われ続けた過去があり、大変に不愉快な気分を与えられた。故に他人に同じ思いはしてほしくない。
 そんな私でも「それ私がやったんですけど。本来お前の仕事なんですけど。ねえ!?」と言いたくなるくらい察しの悪く視野の狭いぼんくらは居る。仕事と人生の経験不足故だろうか? あまり人のことばかりあげつらうのは趣味ではないが、私ですら「ちょっと視野狭窄じゃないか?」と首を傾げたくなる人は確かに居る。
 誰かの親切に後で気付いて深く感謝するようならまだ可愛げがあるが、気付いても心の籠っていない形ばかりの感謝だけ寄越されても……と思ってしまう。ちょっと穿って見ている可能性も否めないが、本当に感謝しているのだろうな、という時の声とは明らかに声音が違うのは何故だろう。形ばかりの感謝か否かを表している、以外に理由を思いついた方は是非ご一報を。
 そしてそういう奴らに限ってこちらが忙しいときに一切手を貸さない。私が「手伝わなくていいよ」と言い過ぎたせいだろうか。けれど全く行列も出来ていないときに、一件だけの注文ですら、毎回毎回何かと世話を焼こうとするのだ。親切じゃなくて暇だから私の仕事を奪っているだけではないか? これもまた偏見かもしれないが、急ぎではない仕事が出来た途端、あからさまに手伝いにこなくなるのはちょっと面白い。
 そういう考えから「手伝わなくていいよ」に繋がるのだが、まあ当然伝わらない。「ちょっと手伝ってくんないかなー。あ、もういいや出来ちゃったから」みたいなことが多々生じる。まあそんな人間の手を借りなきゃいけない程私が仕事出来ない訳じゃないし。
 一度や二度なら別にいいが、そういうことが積み重なってくると「ああ、もう、手伝うのやめよ!」となり最低限しか手を貸さなくなる。相手の成長のために敢えてほとんど手を出さないことも勿論あるが、私怨で放っておくこともある。放っておき過ぎて私が怒られることもたまにある。理不尽。

こういうぼんくらが一番厄介では?

 集団の中で一番排除すべきなのは言うまでもなく「テイカー」だ。「ギバー」と「マッチャー」のみの環境であれば、与えたい「ギバー」と与えられたら与えた分だけ返す「マッチャー」の相互作用で、どんどん環境が良くなっていく。
 しかし「テイカー」と同様に、自分が親切を受けていると気付けない「マッチャー」も同じくらい厄介なのでは? と思う。自分は「ギバー」ではないがこれだけ疲弊しているのだ、生粋の「ギバー」はもっと疲れきっているだろう。気の毒に。
 と言いつつ、人間下手したらぼんくらになりかねない。私とて例外ではない。気をつけよう。

憧れはあるけれど

 私は親切な人でも優しい人でもないし、なれそうもない。けれど、そういう親切で優しい人が割を食うところは見たくない。不公平じゃないか。
 そういう訳で自分に対する親切には絶対に気付けるよう常にアンテナを張っているし、最大限感謝の気持ちを伝えるようにしている。それから、他者から他者への親切でも、親切を受けた側が気付いていないようであれば「〇〇さんがやってくれたよ」と積極的に伝えるようにしている。
 誤解をしないで欲しいのだが、別にこんなにいい人だとアピールしたい訳ではない。常にアンテナを張り、全力で感謝をし、「いいことの告げ口」をするのは当たり前だと思っているから、実践に移しているまでのことだ。わざわざ「こういうことしてますよ」と記述するのが恥ずかしい。
 そしてやはり、私の当たり前は当たり前ではないようで、結局一人で「どうして!!」を抱えるだけの結果になっている。不公平だなあと思う。
 きっと「不公平だなあ」と思っている内は「ギバー」にはなれない。けれど、それでいいのかもしれない。
 自分に対する不公平は、不利益を被った側からは指摘しづらい。下手すれば恩着せがましい奴というレッテルを貼られかねないからだ。
 では、他者からの指摘であればどうだろう? 冷静に指摘し続けていれば、きっと「テイカー」も搾取しようにもさせてくれない面倒くさい奴が居ると自分から去ってくれるに違いない。たまにとんでもなく面の皮の厚い人間ではない生物も紛れているから確証は持てないが。
 指摘し続けることで心優しい「ギバー」がのびのび過ごせる場になってくれるのであれば、私はそれで満足である。「ギバー」と「テイカー」、あるいはぼんくらどもの外から不公平を感知し、公平になるよう働きかける。それこそが、「ギバー」になりたくてもなれそうにない私の、最大限の恩返しだと思っている。


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