小さな紙片

モノカキ空想のおとの3月企画 ■

今回は冒頭の一文を全員共通とし、
さらにモノカキの一人から指示された条件に沿って書いています。

僕に条件を出してくれたのは鹿水 美優さん。
どんな条件だったのかは、文末に記載しました。

以下、本文です。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

スプリングコートのポケットに、去年の忘れ物を見つけた。

ちくりと指先に痛みが走ったのは、紙の角がちょうど刺さったせいらしい。

取り出してみると、およそ二寸四方ほどの白い紙切れだった。走り書きで、黒い文字が書かれている。
紙の裏と表をじっくり眺め、それから念のため、太陽の光に照らしてみた。

「ふむ」

どうやら“秘密の透かし模様”は入っていない。つまり、ごくありふれた、普通の紙切れということだ。

じっと腕を組み、右手であごを撫でながら考え込む。
これは考え事をするときのいつもの癖だが、今回は本当になにがなんだかわからない。
丸っこい文字は、たった一言「裏切れんを忘れるな!」とだけ書いてある。


ここで「裏切れん」について説明が必要だろう。
裏切連(うらぎれん)とは、俺が大学時代に在籍していた同好会の名称である。

「裏切るそぶりはひと月に300回までしてもいい。ただし絶対に裏切るな」を会則とし、一回生から四回生まで数十人の仲間たちが日々の活動にいそしんでいた。
そして、一癖も二癖もある個性豊かな面々を率いていたのは、他ならぬ俺である。

とはいえ、それも一昨年までの話であり、大学を卒業した去年はめでたく社会人一年生。
初々しさを遺憾なく発揮しつつ、あらたな環境へ慣れるのに精一杯の一年間を過ごした。

なにしろ、このスプリングコートも会社の外回りをするために買ったもので、だからこそ、なぜ学生時代の同好会が書かれた紙が入っていたのか、さっぱりわからない。
人によっては、珈琲を一杯飲んで気分を変えればどうでもよくなるような謎かもしれない。しかしあいにく、俺は小さな謎を放置できる男ではなかった。

手始めに、同好会の下部組織「裏切ら~ず」の会長に連絡をとってみることにした。
この「裏切ら~ず」とは、我々「裏切れん」の姉妹組織として、徹(とおる)を中心に設立された活動団体であったが、発起人である徹(とおる)の「まぁ、三年で10人も集まれば御の字かな」という弱々しい目標と裏腹に、あれよあれよという間に活動範囲を拡大し続け、いまや週に一回の会誌が刊行されるほど活発な団体となった。

“昔は、あれほど無気力だった徹(とおる)が……” 思わず遠い目をして過去を振り返る。

ともあれ、こうした現象には少なからず皆さんにも覚えがあるだろう。
たとえば誰かに「宿題をやれ!」と言われるとやりたくなくなる。しかし「やらなくてもいいよ? どうせやらないでしょ?」と言われると俄然やる気を漲らせてしまう気質。

俺が徹(とおる)を見込んで下部組織を任せたのは、ひとえにそうした才能の持ち主だったからだ。そして、俺の判断は正しかった。こうした現象を、我々は「やる気の作用、反作用の法則」と呼んでいる。

などと、回想に浸りきったのもほんの数秒。携帯の呼び出し音が数回鳴ると、徹(とおる)は電話に出た。

「先輩、お久しぶりっす」

「覚えていてくれたか」

「先輩には世話になりましたからね。でもまぁ、そろそろ忘れそうっすけど」

「聞きたいんだが、最近、裏切れんで何か変わったことはないか?」

「さぁ、もうあんまり関係ないっす。ていうか、成長著しい裏切ら~ずに比べたら弱小組織すぎて眼中にないっすね。……もしも気になるなら、春(はる)さんに連絡とってみてくださいよ」

「そうか。だしぬけに変なこと聞いて悪かったな」

「先輩、いつでも電話してくれていいっすよ。今のおれがあるのは先輩のおかげっすから。でも、その恩もそろそろ忘れるつもりっすけどね」

徹(とおる)の口から出てきたのは、元気そうな声と、懐かしい名前だった。

かつて「裏切りの乙女」の異名をとった女、春(はる)。
苦境に陥っても、瞳の奥では常に笑っているような女だった。

まるで相手を値踏みするような言動ばかり。絶対に心を開かないようなそぶりをしながら、実は信頼をよせる相手をけっして裏切らない。最初から最後まで、彼女を理解するのは不可能だった。

だがその名前を聞いた瞬間、春(はる)ならば俺のスプリングコートへ謎めいた紙切れを入れるかもしれないと直感した。

たしか、俺が四回生のとき、彼女は二回生だったはずだ。とすれば、まだ大学に在籍しているだろうし、そしてもしかすると、俺の行きつけだった喫茶店で、まだ働いているかもしれない。

翌日、喫茶「いすか」。仕事の帰りに、二年ぶりで訪れた懐かしい店の入り口には
“本日、誕生日会につき貸切”
という文字が並んでいた。

はて、俺が足しげく通っていた頃は貸切なんてなかったはず……と時代の流れを感じていると、

「先輩」

背後から声がした。

「ちょうど来る頃だと思ってました」

銀の盆を手に佇むのは、間違いなく彼女だった。

あいも変わらず、瞳の奥の方で笑っている。投げかけられた言葉と表情で、首謀者は彼女だと俺は悟った。
彼女は俺の記憶よりも二年ぶん大人になり、幼さが消え、綺麗になっていた。

「衣替えの日を厳守する先輩の癖、変わってませんね。スプリングコートのポケットに気づいてくれなかったらどうしようかと思ってました」

「探偵ごっこのつもりか? なぜ?」

「裏切るそぶりはひと月に300回までしてもいい。ただし絶対に裏切るな。先輩が作った約束でしたね」

「……そうだ」

「今日はそれを守ってもらいます」

その言葉と同時に「バタン!」と大きな音がして、喫茶「いすか」の扉が開かれた。貸し切りの店内には、同好会「裏切れん」の懐かしい連中が居並んでいる。片隅に隠れるようにして、徹(とおる)もいた。

あまりにも急な出来事に、声も出せない。“鳩が豆鉄砲をくらう”とはこのことか。自分がいまどんな顔をしているのか想像もつかないし、またわかりたくもなかったが、あっけにとられた俺の顔はさぞかし見ものであったろう。

「やったわ……大成功」

春(はる)の小さな呟きが俺を現実に引き戻した。
でもまだ半分は、夢の中にいるようだった。それは彼女が、これまでに見たことのない、まるで彼女らしからぬ屈託のない笑顔をみせてくれたから。

さてさて、事の内訳はこうだ。

去年も、徹(とおる)たちは俺に内緒で誕生日会を企画してくれたそうである。
だが、普通の食事会だと思いこんでいた俺はまったく気づかず、主旨が明かされる前に支払いを済ませ、さっさと帰ってしまった。
これは「裏切れん」にあるまじき、後輩の気遣いに対する明白な裏切りである。

よって、今年はそうはさせまいと呼び出し方を工夫した。
例年、衣替えを同じ日に行う俺の習慣を知っていた春(はる)が今回の作戦を立案し、洗濯屋さんの協力をとりつけた上で、スプリングコートのポケットへ紙切れを入れた。もちろん徹(とおる)も共謀した一人であり、俺からの電話がかかってきたあのとき、成功を確信したと後に語ってくれた。嬉しそうに。

「あのさ……、みんなを前にしてなんだが、正直、驚きと戸惑いでうまく言葉が出てこないんだ。ただ、去年も準備してくれたのに俺が台無しにしたのは悪かった。本当にすまん」

「おっと、頭をさげる前に、こいつを吹き消してもらうっす!」

大きい声が響いた方向に目をやると、厨房の中から、徹(とおる)が何か抱えてきた。

四角い紙箱が真ん中から開かれると、
眩しいほど白い、丸くて柔らかそうな食べ物が、そこにあった。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


※このお話を書く際に、鹿水 美優さん( https://note.mu/miu_kasui )から二つの条件を頂きました。

・スプリングコートとポケット以外のカタカナ及び英語を禁止
・一般の人がすぐ読めなさそうな漢字を禁止

どちらもついつい使ってしまうので難しかった……。
逆に言えば、自分の癖を見抜いた鋭い条件。

今回、長文になってしまったのはご容赦を。


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