とにかく映画を観た2022年
公私ともにダメージを受けることが多かった2022年。これまでの人生で一番長い時間を映画を観て過ごしました。映画館で観た本数は、リピートも含めれば50本。ほぼ毎週、入り浸っていたことになります。
鑑賞記録は、Filmarksというアプリでつけていました。レビュー内容は、その時々の気分に応じて饒舌な時もあれば淡白な時もあり、それ自体も一つの記録だと思いながら、鑑賞中は100%作品世界に入り込み、鑑賞後も印象的なシーンを振り返りながら、言語化を繰り返していました。
年の瀬ということもあり、私なりのベスト10を発表する形で簡単に今年観た映画の振り返りをしたいと思います。今後、映画を選ぶ際の参考にしてもらえれば幸いです。(過去作品からも選びたかったのですが、2022年に日本の映画館で公開されたものに絞っています。)
なお、作品のネタバレも含まれていますので、未見の作品については、見出し部分で適宜読み飛ばしをしてもらえると良いかと思います。
10. オードリー・ヘプバーン
「ローマの休日」や「ティファニーで朝食を」をはじめ、一時代を象徴する映画女優であったオードリー・ヘプバーンの生涯を描いた作品。作品から受ける溌溂とした美しい女性というイメージが先行するオードリー・ヘプバーンですが、彼女の人生は起伏が多かったことに驚きます。(戦争経験や二度の結婚と離婚、ローマでのプライバシーの無い生活など)
オードリー・ヘプバーンのスターダムを描くこと以上に、彼女が人生の前半期に追ったトラウマの描写も描かれており、精神療養士のエッセイ集が脳裏に浮かびました。傷は無くすことは出来ないけれども、どこかでその傷を見つめて愛することができれば、完治は出来ないが寛解くらいはできるかもしれない。オードリーも、時間をかけて自らの傷を寛解させていきました。
ドキュメンタリーという都合上、美化されている面もあると思う一方で、心の根の綺麗な彼女が、晩年にはUNICEFの親善大使を務め、自身が「客寄せパンダ」であることを自覚しながらも、それによって多くの子どもたちが救われるのなら本望だと献身的に活動する様は、私たちが真に見るべきオードリー・ヘプバーンのアイコンであると思わずにはいられませんでした。
9. 「ベルファスト」と「ラーゲリより愛を込めて」
戦争系の映画を2本まとめて取り上げます。2022年2月にロシアがウクライナに侵攻したことを契機に、「21世紀には侵略戦争は起こらない」という希望的観測が打ち壊されました。学生時代に国際政治や国際法を学んでいた私からすれば、ロシアの軍事侵攻は、国連憲章の武力行使に該当し、真っ先に糾弾されるべき愚行です。
しかし、プーチン氏の歴史認識(西欧諸国に騙され続けたという歴史観)や現行の国際秩序を欺瞞とする見方(主権国家体制は西欧由来の国際秩序観であり、パワー(力)関係に基づく異なる国際秩序の可能性を排除しない)には、同調こそできないものの、理解することは出来る部分もあります。
(この点、私も月額で支援をしているコテンラジオが骨太の解説をしています。また、大学院時代の恩師も新書を書きあげました。)
話を映画に戻すと、「ベルファスト」は時代と場所こそ違えど(1969年の北アイルランド)、ある日突然、平穏な日常が戦争によって奪われてしまった様子を少年の目線で描いています。奇しくも昨今のウクライナ情勢で日常を奪われてしまった人々と重なるような気がしてならず、エンドロール直前で画面に投影される鎮魂の言葉が、重くのしかかります。
年末年始にかけて鑑賞することも多いであろう「ラーゲリより愛を込めて」は、戦争の負の側面の中でも、戦場に送り込まれた戦争捕虜が直面した理不尽を描いています。詳細は省きますが、二宮和也が演じる山本が残した言葉が、戦後日本を生きる家族や戦友に生き続け、「希望」となっていることは感涙を誘います。
8. マイ・ブロークン・マリコ
「ラーゲリより愛を込めて」と同様に、親しい人の死をどのように悼むかということを考えさせられたのが本作。幼馴染で親友のマリコの訃報を聞いたトモヨが、マリコの遺骨とともに逃避行をしながら感情の整理をしていく物語です。
トモヨは、本州北端の地で自死しかけますが、通りすがりの釣り人であるマキオに制止されます。そして、時間を掛けながらマリコとの思い出を抱きしめて、大したことはないけれどもすぐに止めるほどの深刻さもない、日常へと戻っていきます。劇的な展開はなくその意味で、本作は等身大の人々の再生の物語でありますが、だからこそリアリティを感じ、深く記憶に刻まれた一作となりました。
永野芽郁と奈緒という、朝ドラ「半分、青い」のコンビが織り成す物語は、Filmarksの評価以上に見ごたえがあります。
7. ある男
平野啓一郎作品の中でも、ミステリー性が高く、自分のアイデンティティに向き合うきっかけを与えてくれる同タイトル『ある男』の映画化作品。
個人的には、原作を読んでから、劇場に足を運ぶと面白さが格段に上がると思っています。というのは、原作の中盤にある、とあるシーンを別のところに入れ替えることによって、2時間という映画の尺で収まり、かつ映画は映画作品として別のメッセージを発するような深みのある作品にと仕上がっているからです。
歳を重ねるほど、自分の人生はひょっとするともっと別の可能性があったのかもしれない。出来ることなら、別の誰かに生まれ変わって、全く違う人生を経験してみるのも面白いかもしれない…。そんなことを、ふと思うことが一度ならずあるような気がしています。ちょっとしたころで、人生が幾通りにも分岐していって今の自分に辿り着いているのですから。
6. ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス
「ある男」でふと想起させられる、在り得たかもしれない自分の他の可能性について、”マルチバース”を余すことなく用いて描いているのが、Marvel Cinematic Universe (MCU)作品の本作です。
本作のドクター・ストレンジは、禁断の魔術を使って異なる世界線(マルチバース)を行き来することになります。パラレルワールドで様々な可能性を見ていった結果、彼が最終的にたどり着いたのは…。
シングル・ユニバース(単一世界)では、今ある現実もこれしかなかったと開き直る他ありませんが、実際に複数世界を行き来できたら自分にとって、もっとも都合の良い世界線で生涯を送りたいと思うのは自然なことでしょう。あり得たかもしれない、より魅力的な現実は私たちを狂気にする可能性を秘めており、だからこそこのタイトルが付いたのだと思わざるを得ませんでした。
5. 「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」と「ドライブ・マイ・カー」
この二つの作品は、奇しくも共通するテーマを扱っていました。それは「中年男性の癒し」です。スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム(以下、NWH)は、公開前から話題の中心にありました。過去2回のスパイダーマンシリーズの歴代ヴィランが集結することが、映像から明らかになっていたからです。ヴィランが出るということは…?というということも含めて、大注目の作品ではありました。
NWHでの、トム・ホランドのスパイダーマンは、マルチバースの扉が開き、集結してしまった過去すべてのヴィランを救おうと奮闘します。その行動の背後には、初期のスパイダーマンシリーズや消化不良に終わったアメイジングスパイダーマンで出てきたヴィランたちにも、それぞれ事情があり、彼らもボタンの掛け違いさえなければ、悪事を働かず、平穏無事な人生を歩んでいたのかもしれない、という思いです。この切なる思いが、トムホ・スパイダーマンを駆動します。これまでの勧善懲悪なスパイダーマンを含むアメコミではあり得なかった展開です。
あの時は流れが悪かったのだ、誤解があったのだ、気の迷いがあったのだ…出来ることならやり直してみたい、という今や中年男性となった歴代ヴィランたちは過去を振り返り、改心をしていきます。現実世界はこんなに甘くはないのですが、傷ついた彼らに対する救済が作中の中だけでも実現されることは胸が救う思いでした。
ドライブ・マイ・カーの主人公である家福(かふく)は、作中冒頭で妻を亡くします。妻は複数の男性と関係を持っており、家福自身もその現場を目撃しますが、無かったことにして平静であることに努めます。
このことが終盤になって効いてきます。というのは、彼は物語の終盤で心の整理をしていく中で、あることに気が付くからです。「僕は傷つくべき時に傷つくべきであった」と。
まだ私自身は、中年という年齢ではありません。ですが、来るべきその時に備えて、その時々の感情を大切にしながら丁寧に日常を送ることの尊さを再認識させられた点で、学びの多い鑑賞体験でした。
4. サバカン SABAKAN
不意を突かれたのが、本作の鑑賞体験。二人の少年のひと夏の思い出を巡る物語なのですが、西田幾多郎の純粋経験?なのか何なのか…とにかく、無垢な少年たちの飾らない感情のやり取りが、まぶしい作品でした。
良いと思う作品ほど、感動を言葉で伝えるのが難しく、それをまさに体現してくれているのが本作のような気がしています。(もっと凄いのが控えていますが…)
3. Coda 愛のうた
聾啞家族の中にたった一人の健聴者であるルビーが、家族生活と自己実現の狭間で葛藤しながらも、人生を前進させていく作品。
手話が出てくる作品は名作が多いが、本作もその一つ。本作が見事だったのが、秋の音楽祭のシーン。主人公のルビーが歌い出した瞬間、場面が急に聾唖の家族たちに切り替わります。彼ら/彼女らは、音の無い世界で生きており、当然のことながら娘/姉の歌は聴こえません。にも拘わらず、周囲の反応から好演であったことを悟り、ルビーの門出(故郷の町を出て、バークリー音楽大学へと進学する)を応援することを決意します。
この音の無いシーンには思わず鳥肌が立ちます。何より無音状態は、何の前ぶりもなくやってきて、しかし最も効果的に聾唖家族への感情移入を促していたのですから。
所々にある緩急も含め、バランスの取れた良作でした。
2. すずめの戸締まり
本作については、Filmarksに書いた2回目の鑑賞後の感想をそのまま貼ります。3.11の出来事に公私ともに向き合ってきた中で感じたモヤモヤを、少し映像化してくれた、そんな作品が「すずめの戸締まり」でした。
1. 「さかなのこ」と「トップガン:マーヴェリック」
2022年の1位を一つに決めるのは難しかったです。というのは、自分はてっきり作家性の高い作品(見るたびに新たな発見がある作品)が好みであって、アクション系やコメディの類ではあまり高い評価を付けてこなかったからです。
ところが、この2作品については、鑑賞中の没入体験や鑑賞後の高揚感が忘れられず、新たな自分を発見させてくれました。
さかなのこは、ご存じ「さかなクン」の半生をのん(能年玲奈)が見事に演じていました。好きなことを究めて成功を修める、という話は有り触れていますが、成功する過程がこんなにも笑えるのは、さかなクン以外にあまり思い浮かびません。劇場は終始笑いに包まれており、多幸感あふれる鑑賞体験でした。
「トップガン:マーヴェリック」は、ミッション・インポッシブル(MI)シリーズの番外編を思わせるような、アクションに次ぐアクション。そのすべてが痛快であり、余計なことを考えず、ただひたすらに困難なミッションに立ち向かう、ただそれだけで十分だと思わせてくれる、そんな作品でした。友情、勇気、勝利。ハリウッド版の少年ジャンプの黄金律がそのまま見事にハマった稀有な作品です。
番外編
今年は、”This IS US”というアメリカのドラマを暇さえあれば見ていました。ピアソン家の夫婦と三つ子の話から始まった物語は、夫婦の両親、三つ子の成長譚、三つ子のさらに子どもたちのエピソードも織り込み、過去・現在・未来を行き来しながら、一人ひとりの人物の心の動きを丁寧に描いており、途中から時間を忘れて見続けていました。
人生を歩んでいく上での金言が散りばめられており、きっとこの先何度も見返すことになるのだと思います。半年でシーズン1~6まですべて見切ってしまっています。(紹介してくれた友人に感謝)
2022年は、予定外のことがたくさん起こり、その度に修正を余儀なくされる日々でした。2023年は、目標を見定め、着実に歩みを進めていきたいと、記事を書きながら思いを新たにしたところです。