教師としてのビリーフ
「ビリーフ(bnlief)」つまり、「信じている」ことの意味ですが、先日参加した交流会で、日本語教師としてのビリーフを話す機会があったので、自分自身が授業をする際に大切にしていることを改めて考えてみました。
まず、日本語教師として、日本語学校で働く場合(私にはこの経験しかありませんが)、使えるテキストや教材がある程度決められ、指導内容や教え方も指示されることが多いと思います。
そんな中で「私にしかできない授業」とは何か、考えるようにしています。
同じ教材を使ったとしても、面白くも、つまらなくもなるように、教師の工夫やアプローチの仕方次第で、授業の雰囲気も学生の様子も変わります。
例えば、漢字圏の学生が多いクラスで、個々に漢字の書き取りをさせても、真剣に行う学生は少ないと思います。日本の漢字も中国語と大差ないと思っているからです。そういう学生が多く、なかなかうまくいかないと思っている方はぜひ「ディクテーション」をやってみてください。
典型的な練習の一つではありますが、余裕~と口にしていた学生ほど漢字の細部や読み仮名が間違っているものです。
数名の学生を前に呼び出して書いてもらうと、何だか"見せしめ″のようですが、初めは嫌々ながらやっていた学生も、他の学生に見られるということを意識するからか、まじめに書いてくれるようになります。
漢字が苦手だと言っていた学生もできないなりに、クラスメートのアドバイスをもとに思い出しながら、見よう見真似て書いてくれます。初めは書けなくても、予習・復習して、得意げに書いてくれるようになった学生もいました。
前に書かれた学生の答えをもとに、クラス全体で答え合わせしたり、書き方のや読み方の補足をしたりしてもいいですし、まず学生同士で採点させて間違いに気付かせるなど、担当するクラスや学生の雰囲気やレベルに合わせて確認方法も工夫できます。
それから、AIやICT化が進んだ際、授業も試験も、教師に取って代わる存在になるのでは、というような記事を読んだことがありますが、自己学習ではなく「わざわざ学校へ通うことの意味や価値」にもつながっていると思います。
問題を解き、ただ正解・不正解かを指導することは、回答を見て自分一人ででもできますが、もしAの言葉を使って言いたいなら何と言う?残りの漢字の読み方は?意味は?などと学生に質問してみると、曖昧な回答が返ってきます。わかっていても、上手く説明できないということもあります。
私自身学生の頃、正解はわかるけど、なんでBはダメなんだろう?と疑問に思っては、聞くに聞けず、よく一人で頭を抱えていました。
試験の為の勉強ではなく、日本語の勉強をしているのならば、できるだけいろんな「言葉」や「表現」が使えるようになってほしいものです。せっかく目の前に「先生」がいるのだから、理解が納得になればより良いなと思っています。
学生一人ひとりのレベルや個性を考え、ニーズに応えるには、それだけの知識や経験が必要になるはずです。
教師自身が常にそれらを求めていくことで、わかりやすくて楽しい授業、そして、その先生の魅力になり、学生たちのモチベーションへつながっていくのだと信じています。
イチ日本語教師として、日本人と外国人とが笑顔で共生できる社会になるように noteやYouTubeを通して活動しています!