私の過去の話
こんにちは。
27歳元保育士、たまに新宿2丁目のミックスバーで働いているシルキーと言います。
前回は自己紹介の記事を投稿しました。
上京してからが第2の人生だと思っている私が今だから話せる過去の話をしたいと思います。
父親からの暴力、詐欺被害、非行、自分の体を大切にできなかった数々のできごとは今の私を構成している1部です。
こうして文章を通して振り返れることが、過去を受け入れ前に進めている証拠です。
私の経験が誰かの勇気になりますように。
とても長いので興味のある方だけ見ていただけると幸いです。
育った家庭のこと
・家族構成
祖父、祖母、父、母、妹、(0歳から12歳まで二世帯で暮らしていた時)
12歳〜21歳は新しいお家で父、母、妹の4人で暮らしていました。
父の酒癖の悪さ
私の父は昔からお酒が大好きで、タバコも同じくらい好きでした。
父が楽しく飲んでいる時はいいのですが、仕事で嫌なことがあったり感情がコントロールできないような出来事があると怒鳴り散らかしたり物を壊したり暴力を振るう人です。
エスカレートしていった暴力
私が幼稚園の時は、暴力の矛先が母に向いていました。
母はフィリピン人なので、日本語が不自由でうまく父に言い返すことができず、私と妹が泣きながら止めに入るまで母に対する暴力は終わりませんでした。これも立派なDVです。(面前DV)
小学校に上がると暴力の矛先は私と妹にも向けられました。
殴られたり、包丁が飛んでくることもありました。(今も足に傷が残っています)
小学校の先生と交換日記をしていた時、こんな日々が辛いと吐露したことがあります。
当時は父と行きすぎた喧嘩をしただけだと先生に思われ、宥められ話が終わった記憶です。
「お前なんて生きている価値がない。」
と言われてもなぜか謝っている私と妹。
当時はどこの家庭もこんなことを言われているんだろうと思いながら過ごしていました。
父がお酒を飲むと大体ろくなことがないので、夕飯中はなるべく喋らず無難な会話のみで過ごしていました。
それ以降、小学校卒業から専門学校(保育の学校に通っていました)卒業までどんどん父の暴力がエスカレートしていきました。
私が友達と遊んで帰ってくるとどこで何をしていたのか問いただされたり、GPSをつけられたり
「早く帰ってこなかったらどうなるか分かってんだろうな」
と脅されることもありました。
遅くに帰ると玄関のチェーンロックをかけられ家に入れないこともありました。(母が気づいて開けてくれる時もありましたがそれ以外は基本その辺の公園で野宿してました)
寝ている時に急に叩き起こされて、灯油を頭からかけられたり火をつけるぞと脅されたりとにかく恐怖に支配される毎日でした。
母はこの状況で何故助けなかったのか
母は私が幼少期の頃から度重なる父親の暴力に慣れてしまっていたのです。
人は怖いもので、最初は異常だと思っているものもいつしか当たり前に感じてしまいます。
そのため父が暴力を振るっても、子どもたちへのしつけぐらいにしか思っていなかったのです。今考えると恐ろしいですね。。。
しつけではなくこれは立派な暴力だと気がついたきっかけ
保育の専門学校に通っていたため、保育の基礎知識を学んでいく中でDVにも種類があることを知りました。
【私が父親からされていることはしつけではなく立派な暴力だ】
と初めて気が付きました。
その授業中、いつ誰に相談するか考えていたのを今でも覚えています。
その後の自分の行動について
まずは担任の先生に相談しました。
「それは辛いね、親戚とかは頼れるの?今日は家に帰れる?」
と気持ちは受け止めてくれるものの、具体的な解決方法は分からぬままでした。
次に当時付き合っていた彼氏や友達に相談してみました。
「俺は幸せな家庭で育っているからそういうことは全く分からないし、俺に相談しないでくれる?」
と突き放されてしまいました。悲しかったですがまあそれも無理はないと思います。
友達は「警察に一旦相談してみたら?一人で行くのは勇気がいると思うから私もついていくし」
と言ってくれてとても救われました。
児童相談所等はそもそも18歳を過ぎているため軽くあしらわれるだけだと思い選択肢には入れていませんでした。
警察に行く=父親にバレたらまた殴られる
という思考になってしまっていたため警察に行くという選択肢は私の中には無く、友達が次の日私の地元の警察署に同行してくれました。
警察署で父親の暴力について相談した時のこと
ドラマで見るような取調室?のような場所に通され、自分の名前と住所、家族構成を用紙に記入しました。
これまで受けてきた暴力のこと、それが今現在も続いていることを警察官の人に話しました。
その時担当してくれた警察官の人はとても良い人で、「今までよく我慢してきたね。これからは大丈夫だよ。」と言ってくれました。
警察は事件が起こらないと動けないため
「次に私が暴力をふるわれたらその時にすぐ電話をかけてください。場合によってはお父さんを逮捕することもありますから。」
と言ってその日は家に帰ることになりました。
帰宅してから母と妹に警察に事情を話したことを伝えました。
母と妹は「なんでそんなこと言ったの?お父さんがもし逮捕されたらうちの家終わりじゃない、、、そうなったらどう責任取るの?それに別に警察に言うほどの事じゃないし、私たちが耐えればいいだけ。お父さんは何も悪くないのに。」
と言われて唖然としました。
(やっぱり私がおかしいのかもしれない)
その日は色々考えてあまり眠れなかったのを覚えています。
警察官に言われた衝撃の言葉
それから数日後、またいつものように父が酒を飲んで暴れていました。
(これではまた殴られてしまう)と思い、とっさに警察に電話をかけました。
私の姿を探していた父にちょうど警察に電話しているところを見つかってしまい、髪の毛を引っ張られそのまま引きずられました。
数分後にパトカーが4台家の前に止まり、警察官の人がすぐ家の中に入ってきてくれました。
警察官に対し暴言と唾を吐く父を他の警察官が取り押さえ、手錠をかけようとしたところ母親が泣きながらそれを必死に止めていました。
この辺りからはあまり覚えていないのですが、私は一旦パトカーの中へ避難し、母が何やら書類にサイン?をしている様子が見えました。
父は手錠をかけられそうになったあたりから酔いが覚めたようで、警察に抵抗することなく黙って話を聞いていました。
パトカーの中に一緒に乗っていた警察官の人に今でも忘れられない衝撃の言葉を言われました。
「あなたもう21歳なんでしょ?じゃあホテルとか泊まれば?ほら、自分の身は自分で守らないと。就職は○○幼稚園(当時私が内定を貰っていた出身の幼稚園です)だっけ?まー東北にはいない方がいいね。とりあえず今日はどっか泊まりな。さ、早く降りてくれる?」
と冷たい感じで言われ、警察の人でさえこういうことを言うんだから人はやっぱり簡単に信用してはいけない頼ってはいけないとさらに思うようになりました。
田舎なので近くに泊まれるホテルなど当然無く、夜中だし友達の家には絶対連絡できないし、、、と思って広めの公園まで行って野宿しました。
1月の寒い時期だったので外にいる間は時間が経つのがとっても遅く感じて、寒くて心細くて涙が止まりませんでした。
朝が来たら学校に行かないといけないので、父が仕事に出る時間を見計らって急いで帰りました。
お風呂に入り、コンシーラーでアザを隠して、何事も無かったかのように学校ではニコニコしていました。
本当は誰かに言いたいし、気づいて欲しいと思っているのに、警察の人に冷たい態度をとられてしまったことで人を信用することが怖くなっていました。
学校が終わったらどうやって過ごそうかとその日からずっと考えるようになりました。
とても長くなってしまったので一旦ここまでです。