積み木が落ちる音
朝の光がまだ眠たげな街をゆっくりと照らし始めたころ、僕は玄関先で固まっていた。今日は成人式。周囲は「右向け右の通りに」「はみ出さないように」と、幼い頃から口を酸っぱくして言い続けてきた。
だけど、これからの僕が本当に歩きたい道は、そんな均一な世界なのか。初めて着るスーツに袖を通しながら、胸の奥からこみ上げる違和感を、なんとか言葉にしようともがいていた。
揺れる電車の窓に映った自分は、今どんな顔をしているのか、まるでわからない。大人になったと言い聞かされても、昨日までの自分が急に変わるわけじゃない。それでも時間は止まらない。
遠い未来だと思っていた「大人」が、もう目の前にいる。社会に馴染んだつもりでいても、「もっと上手に生きられないかな」「もっと綺麗に見せたいな」という欲求と焦燥感が、喉の奥をきゅっと締めつける。
会場に着くと、旧友たちが集まっていた。しばらく話していなかったあいつらも、同じようにスーツや振袖に身を包んでいる。笑顔で手を振る姿は、それぞれ大人びているように見えるのに、実際は僕と同じように、不安と期待を胸に抱えているのかもしれない。
けれど、誰もが外に向かって生きている。その姿を見ていると、かつての自分もそうやって、いつの間にか大切なものを手放してきた気がしてならない。
それは、小学校の頃に大切にしていた積み木のことだ。あのとき僕は、友人との言い争いがきっかけで、自分の「遊び方」を否定された。悔しかった。でも本当は、どうしても素直に「ごめんね」と言えなかった。
怒りと恥ずかしさが募って、自分の宝物だった積み木さえ「要らない」と言ってしまった。あの決断が、未来の僕の生き方に微妙な影を落としはじめたのかもしれない。ぽとん、と心の奥で積み木が落ちる音がする。その音は今でも耳の奥に残っている。
成人式のスピーチを聞きながら、ふと過去の自分に問いかける。
「あのとき、本当に捨てたかった?」
「どんな僕が、僕だったっけ?」
答えは見つからないまま、周りの拍手に合わせて僕も手を叩く。手のひらに伝わる振動が鼓動と重なったとき、心臓の音が一瞬、大きく跳ねたように感じた。
式が終わり、帰り道。人混みの中を歩くうちに、自分がどこを見ているのかもわからなくなる。誰かの笑顔、誰かの未来、誰かが押し付けてくる「らしさ」。それらに合わせるように歩いていたら、まるで自分の足取りを見失いそうだ。
それでも、ふいに蘇ってくるのは、胸の中にちりちりと残る「ごめんね」という言葉。言わないままに固まってしまった思いを、どうにか解き放ちたくて、だけど今さら何をすればいいのかわからない。
僕はその言葉を、無理やり飲み込みそうになる。だけど、飲み込めない。喉のあたりに小さな熱い塊が宿った。
思い切って足を止める。はみ出してもいいから、自分の中にある声を聞いてみよう。遠く感じていた未来は、もうすぐ先にある。でも、その未来は誰かが決めたレールの上じゃなく、自分が選びとる道でいいじゃないか。
脈打つ心臓の鼓動が、急に僕のすぐそばで鳴り響く。まるで「自分を見失うな」と教えてくれているようだ。
幼い頃、大切だった積み木は、今の僕に何を教えてくれるのだろう。あのとき本当に必要だったのは「要らない」と言うことではなく、本音でぶつかることだった。
それは、周囲の目を気にせずに、素直に「ごめん」と伝えることだったのかもしれない。失ってから気づくなんて、あまりにも遅い。だけど、遅いからこそ、もう一度拾い上げる決意ができるのかもしれない。
そう思った瞬間、胸の奥に長く滞留していた縺れがほどけていく。すると同時に、心臓は大きくドクン、と鳴った。その鼓動は僕の存在証明だ。誰でもない、この世界で一つだけの自分の声だ。
大事なものは、外の世界や未来にばかりあるわけじゃない。自分自身が抱えてきた感情や後悔こそが、僕の「今」を作ってくれる。
僕は、過去の友人に連絡を取る決心をした。きっと簡単に許してもらえるとは思っていない。けれど、「あのときはごめんね」と伝えない限り、僕の成人は始まらない気がする。過去との対峙は痛みを伴う。だけど、その痛みは自分らしさを取り戻すために必要なものだとも感じる。
さあ、もう一歩。鼓動が一段と高まり、世界が少し明るくなる。遠いと思っていた未来が、僕の中で手を伸ばすだけの距離になっている。
積み木から得た教訓
――本当に大事なものは、いつでもすぐそばにあるという真実――
を胸に刻みながら、僕は一人の「大人」として、新しい一歩を踏み出そうとする。
これは、過去を拾い直すための始まりの合図だ。胸の鼓動は、激しく、だけど頼もしく、僕の歩幅に合わせて鳴り響く。僕を示す唯一無二のリズムが、確かにここにあると信じて。