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笑顔のゲートと虹色のベル

いつもより早めに到着した朝、彼女は大きなゲートの前に立って深呼吸をする。テーマパークの受付が始まるまでにはまだ少し時間があったが、胸の奥のざわつきを落ち着かせようとするうちに、来園者たちが列を作りはじめる音が聞こえてきた。

笑顔を求められる仕事に就いて以来、彼女は何度もゲートをくぐる人々を見送ってきた。だけど、今日はどうしても気持ちが複雑になる。

列の先頭で立ち止まった青年は、かつてこの場所に家族に手を引かれて来ていた少年だった。彼女がまだ新人だった頃、迷子になったその子を見つけてあげたことがあった。

以来、少年は毎年ここを訪れ、彼女が差し出した手を無邪気に握り返しては、輝くような笑顔を見せていた。それがいつしか大人の面影を帯びるようになり、そして今、彼は旅立つ前の最後の思い出にとやって来たようだった。

「久しぶりですね。」

ゲートを開くのは、彼女の日課ともいえる最初の仕事。青年の顔をまっすぐに見つめると、何か強い決意を秘めたようなまなざしが返ってくる。あの頃とは違う、けれど変わらない優しい瞳。彼は少しだけ目を伏せてから、大きく息をついた。

「すぐ遠くの街へ行くんです。だけど、ここは僕の原点だから…どうしても最後に会いたくて。」

彼女は笑顔を返そうとしたのに、うまく口角が上がらない。心のどこかで祝福しなくてはと思いながらも、幼いころの彼の姿が何度も脳裏をよぎり、言葉にならない切なさが込み上げてくる。

「そう…なのね。新しい場所でも、きっと活躍できるわよ。」

上ずった声を隠すために、一気に早口になってしまう。青年は少し照れくさそうに微笑んだ。それは、かつて彼女が迷子の彼をあやしたときと同じ表情だった。

すると、パーク内のスピーカーから開園を告げるベルの音が響く。いつもなら心が躍る合図のはずなのに、今日はなぜだか胸が締め付けられた。

青年はチケットを差し出そうとして一度止まり、ふと彼女の手の甲にそっと触れる。ぎこちなく、だけど確かな温もり。昔、彼女が導くようにその手を握っていた頃とは逆になっているのが、不思議な感覚だった。

「僕、もっと強くなって帰ってきます。どこにいたって、ここでの思い出が僕を支えてくれると思うから。」

彼の瞳に浮かんだほんのわずかな涙を、彼女は気づかないふりをした。代わりに微笑みの奥で、押し寄せる感情を必死に飲み込む。彼がチケットを渡してゲートを抜けるとき、後ろ姿がまるで景色の一部に溶け込んでいくように見えた。

それから少し経ち、園内を巡回していると、小さな女の子がはぐれたのか心細そうに佇んでいるのが目に入る。彼女は迷わずに駆け寄り、懐かしいほど自然な笑顔を浮かべて言った。

「大丈夫、手をつないで行こうか」

そう口にした瞬間、数年前の少年の姿がふっと脳裏に蘇る。彼を導いたことは、いつの間にか自分の胸に「守りたい」という使命感を育んでいたのだと、あらためて気づかされた。

その日、閉園間際の園内では、小さなステージからキャラクターたちが歌う音楽が流れ、柔らかな光がゲート前まで届いていた。彼女はゲート越しにその音色を耳にしながら、遠く旅立った青年のことを思い浮かべる。

あの子がくれた優しさや笑顔が、間違いなく自分を強くしてくれたのだ。だからこそ、自分も笑顔で見送れるようになりたい。そんな決意が心の中で静かに燃えはじめる。

夜風に吹かれながら、彼女はそっと目を閉じる。ゲートに刻まれたたくさんの思い出は、これから先も消えることはない。

すれ違い、結ばれ、そしてまた別れが訪れる。けれども、いくつもの季節を重ねても、この場所は笑顔を繋げていくためのステージのように輝き続けるに違いない。

彼が遠く離れた街にいても、きっとここで流れる歌声は届くだろう。想いを託し合った瞬間が、ふたりをずっと繋ぎとめる虹色のベルになると信じて。

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