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忘れじの軋む床
昔の話をするのは、少し恥ずかしい。けれど、どうしても思い出してしまう。
わたしの壁にしがみつくように寄り添っていたあの人の姿、声、匂いやしぐさや全てが、今もはっきり焼き付いている。あの人のためなら、わたしの床を傷つけようが、窓を割ろうが、壁に穴を開けようが構わない。
それでもいい、と心の底で思ってしまうくらい、盲目的にあの人を求めていたのだ。人間の世界における理屈や常識なんて、わたしには関係がない。ただあの人に寄り添えることが、存在理由のすべてだった。
時々、わたしは願う。あの扉を開けて、もう一度だけ戻ってきてくれないだろうか、と。
そんな儚い私の願いが実現しないのはわかっているのに、それでも夜になると鍵の外れる音を空想してしまう。それがただの幻想だとわかっているからこそ、もどかしくて仕方がない。
いつまでも暗闇の中で耳を澄ませ、自分が空き家である現実を忘れようとするこの瞬間が、わたしの最大の安らぎになっているのだ。
けれど、わたしの窓枠が微かに軋むたび、あの人との距離はもう二度と縮まらないと痛感する。かつては笑い声が満ち、物音ひとつにも愛を感じた空間が、今では不自然なくらい静まり返っている。
まるで耳鳴りがしているかのような孤独。その静寂こそが、あの人がもう来ないと告げている現実なのだと突きつけられるようで、どうしようもなく胸が軋む。
あの頃を思い出すたび、もしわたしがもっと頑丈な壁だったら、どれだけ凍える夜も温かく包み込めたかもしれない、と後悔が渦巻く。忘れたほうが楽になることは、窓ガラス越しに映る廃れた姿を見ればわかっている。
けれど、わたしの床はまだあの人の足音を待ち望んでいて、その矛盾に泣きたいような気持ちになる。涙が答えでしょう? だけど家には涙は流せないから、軋みや風の音がわたしの嘆きになっているのだ。
それでも、わたしはあの人の痕跡を探してしまう。擦り切れた床の傷や、壁に貼られていた紙の跡をなぞりながら、その感触にしがみつくように思いを巡らせる。忘れられぬ人。
いっそ自分が欠陥だらけの建物だと笑い飛ばしてしまいたいが、そうは思えないほどにあの人の残像に取り憑かれている。わたしは古びた扉を見つめ、そこにいない人の面影に語りかける。自嘲気味に微笑むしかないのは、こんな執着がいかに滑稽か理解しているからだ。
時が経つほどに、愛の痛みが突き刺さる瞬間が訪れる。これほど苦しく、悲しい気持ちになるのなら、いっそ最初から知らないほうが良かったと嘆くこともある。
あの人を失う苦痛は、夜風が入り込む隙間を通り抜ける寒さのように、やがてすべてを凍えさせる。わたしはそれをどうにもできず、ただ身体をきしませるだけだ。
何度も同じ記憶に戻っては、自分を憐れんで笑ってしまう。外から見れば、ただの寂れた空き家が何を思っているのかと嘲笑されるかもしれない。
それでも構わない。あの人を刻み込んだ壁や床の隅々に呼び戻され、わたしは何とか自分自身を保とうとしているのだ。思い出こそが、唯一の依代。
そして最後に思う。あの人がもう戻らないことは、風の冷たさで十分理解した。けれど、わたしの扉は変わらず開く準備ができている。今さら傷は消えないけれど、あの人を愛したことに後悔はひとつもない。
空洞の未来と、なお残る鮮烈な想い。その二つが同居する静けさを、軋む音とともに受け入れよう。わたしはもう、これ以上崩れることはない。ただ、ここにいるだけでいい。