玉砂利
人は皆、精神という名の石を持って生まれてくる。
その石種は先天性のものである。
しかし環境や思考や経験といった後天性の影響を受け、だんだんと形が変わっていくのだ。
いかに清らかな水が流れても、精神が石板の形をしていれば、石は水を跳ね返す。跳ね返された水は鉄砲水となり、周りの者を傷つける。
いかに清らかな水が流れても、精神が汚泥の形をしていれば、水は汚泥の一部となる。量を増した汚泥は周囲を汚染して、辺り一体が地獄となる。
しかし、それはまた逆も然りである。
私は賢人の精神は玉砂利の形をしていると思う。
たくさんの傷を負い、細かく砕かれながらも、思考と自己分析によって研鑽を続け、美しく磨かれた無数の宝玉となるのだ。
そうして造られた玉砂利の精神には、いかなる汚水が流れこんでも、一滴ずつ濾過されて清らかな水に変わるのである。