大昔のデザイナーが20代前半に見た世界
学校を出て個人のデザイン事務所に入社
4人程度の小さなものだったが私が初めて面接をしたところだった
学校の仲間達もそれぞれ違う事務所に入社
近くだったのでお昼を一緒にできていた
どこも男性主体のところに女性が1人ぐらい
まだデザイナーの絶対数は男性だった
ファッションのデザインは寛斎や一生やコシノ姉妹など世界で日本が大活躍
沢山の外国のものもはいってきていた
こちらは女性のデザイナーが多かった
JUNやBANの洋服は高くてかえなかったが
紙のバックを持つ事がオシャレだった
街には音楽が流れる外国のアートも沢山見る機会があった
というより溢れていたと言った方がいいのかもしれない
そんな時代の真っ只中をはしりながら今で言えばブラック企業になるのかも知れないが徹夜は当たり前男も女もなくただただ働いた
友達と遊ぶ時間も無くそれでも同じ境遇(低賃金 重労働)仲間達が
いたので色んな事も語り合えた
私達にはあの頃お金と時間がなかったが将来の夢があった
いつか有名になりたい!!カッコよくなりたい!!お金持ちになりたい!!
みんなになれないよと言われながら
同じ境遇のカメラマン助手やイラストレーターコピーライター達と語り合った
デザインを始めて2年目ぐらいには岐阜にグラフィックデザイナーズクラブが発足
第一回目には粟津潔
2回目には田名網敬一
U・G・サトーさんとその頃大活躍されていた
先生方に講師にきていただき懇親会も参加させていただいた
女性がすくなかったので先生方とも実際お話しもうかがうこともできた
とても贅沢な時代を送った気がする
お金なんて全然無くてもこんなにも色んな楽しみができるこの世界自分にはあっていると感じた
そんな頃
私の住んでいる町岐阜では新しくパルコができるというのでワクワクドキドキ
ここが新しい発信の場となった
その後もパルコの広告デザイナーが知り合いだったことも!?ありとんとん拍子に私達女性6人のグループ展も2回ほどやらせてもらった
これは本当にラッキーな出来事だった
この頃山口はるみのポスターがデカデカと飾られていた
ただあの時代にはパソコンや携帯電話はなく
今のように仕事もできず手作業でデザインを
していた
紙媒体なのでケント紙の上に烏口でトンボを引き大きな三角定規で並行を取りだいしをつくる
文字は全部写植で撃たれたものを紙の上に貼り付ける本当に大変な時代だった
おかげですこしだけ美的感覚は養われたのではないかと思う
美しく飾るということを教えてもらった
今でもこれは何かの役に立っていると思うし
宝物だと思う
絶対経験できないことだから!!