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『身代りの女』を読んで。

前回記事に書いた、シャロン・ボルトン著『身代りの女』を読み終わったので、感想を書いていきたいと思います。

イントロダクション

この物語の導入を簡単に説明すると、ある夜に6人の若者が度胸試しに行った暴走運転がきっかけで親子3人を死なせてしまう。
6人のうちのひとりメーガンは残る5人に自分の要求する“義務”を果たすことを条件に、身代わりとなり自首をする。

…と、導入部分はこんな感じ。
本作は二部構成になっており、第一部は6人が十代だった頃の主に事故直後の話、第二部は二十年後大人になり成功した5人の前にメーガンが現れて…というような話になっている。


メインキャラクターは大体クズ。でも…

本作のメインキャラクターである6人の若者のうち身代わりになったメーガンを除いた5人は、お互い責任を押し付けあったり冷静に隠蔽工作を企んだりと本当にどうしようもなく、メーガンが逮捕された後も、なんなら大人になってからもほとんど自分自身の事しか考えていない。それはもう清々しいまでに。
ほんとクズだなこいつら…なんてむしろ笑えてくるほどなのである。

しかし、二十年後メーガンは当初彼らが自らに対し果たす“義務”が何なのかさえ明らかにしないまま、あんたらの人生なんていつでもぶち壊せるのよと言わんばかりに、思わせぶりに彼らの家族の前や職場に現れる。

すると、知らず知らずのうちに彼ら…そうクズでどうしようもない彼らと同じ視点で恐怖していることに気づいた。
さながら、自分もあの事故のときそこにいて、皆と一緒にプールサイドで口裏合わせに参加していたかのように思えてくるほど…。
見苦しい言い訳や、心の中で呟かれる旧友たちへの罵詈雑言など、心理描写を端折ることなく綿密に書くことによって描かれるリアリティが確かにあった。


事態は一変、旧友たちは一人また一人と消えてゆく

メーガンは徐々に、旧友たちに対しシャレにならないような要求をしはじめる。
そのなかで自身の身に本当は何が起きたのか、身代わりになるという考えのきっかけは何だったのかを、旧友たち、ひいては読者も知ることになる。
(そして引き金となった要因のひとつである事件を起こした人物は、旧友たちの一人…ずっと彼女を想い続けていた人物によって、断罪される)

しかし、事態は急展開を迎え、メーガンは忽然と姿を消し、5人のうちのひとりであるダニエルも行方がわからなくなる。
5人は自分たちが築き上げたものが崩される恐怖に追い詰められていくうちに、いなくなった旧友のことを考えるうちに、次第に目を背けていた過去や自分自身の気持ちに向き合ってゆく…。

このくだりは本当にすごい。
あのどうしようもない自分本位な奴等にも、実は隠していた想いがあったり、ずっと受け止められなかった気持ちがあって…という、誰しも経験のありそうな人間の心のミステリーを描いている。
そうか、これは過去と向き合うことでやっと罪を償うことができる…本当の償いとは何なのか?と問いかけるような、そういうお話なのかもしれない…

なんて思っていたんですよ、途中までは。


しかし起きてしまう連続殺人

ある人物は自分がしたことの責任をとるために過去と向き合い、思い出の場所へと向かう。
そこで彼はあるものを見つけ、涙を流した。

その後、彼は遺体で発見される。

私は彼が罪と向き合い、自分で死んでしまったのかもしれないな…と思った。
もしかすると他の人もそうなのかもしれないと。
しかし、読み進めると“頭部を3回殴られている”ということがわかり、ここではじめて私はこの物語が自分の予想とは全く違う方向に進んでいるのではないか…と気づいた。

そしてもう一人、犠牲者が出てしまう。
ついに6人のうち2人が犠牲になり、2人は行方不明となってしまった。
そして犯行現場にはメーガンのサングラスが…。

私はこのサングラスのことを覚えていたため、この段階でおおよそ犯人の予想はついてしまった。…が、一体なぜ?
疑問が残った。

そして…いきなりはじまる貴志祐介

は?と思われるかもしれないが本当にそうだからしょうがない。

貴志先生の本といえばスピード感あるホラーやサスペンススリラーが代表的だ。
そう、おそらく一番有名どころなのではないかと思うあの『黒い家』を読んだ方ならわかると思うが、クライマックスで主人公は夜の保険会社で鱧切り包丁を持った犯人と非常階段でバトルするシーンがあるのだ。
(…書いてみると無茶苦茶だな?? ) ※名作です


あの感じ、あの感じそのものだった。
追い詰められる主人公、相手は凶器を持った殺人犯、どうする!?そうだ、消火器だ!
包丁vs消化器・ハンマーvs天使像の違いはあれど、生命保険のオフィスじゃなくてトレーラーハウスだけどれも、あのハイスピードでスリリング、手に汗握るクライマックスはとても良く似ていた。

見事、真犯人を撃退し、ある者は真実を話すため、ある者は国境を越えるため現場を後にした。

そして残された人物は、粛々と遺体を処理するのだった…。


…ちょっと待ってよ、シャロン先生!

実はこの貴志先生ばりのサスペンススリラーから遺体処理までがラストである。

えっ?真犯人の動機は…?彼の心情は…?

えっ?ほかのキャラクターのその後は…?

えっ?罪は…また増えてるような…?

えっ?そもそもこの物語って、彼が主役だったんですね…?

私はこの物語の8割ほどまで、彼ら6人の文句や後悔を聞いてきた。
彼らと手をつないでいたのだ。
共犯者として、旧友として。

けれど、手を離してしまった。
はい、もうおしまい。といった感じで…。
私はどうせなら最後まで彼らの心の声を聞きたかった。

結構ショックだった。
それまでが綿密だっただけに。

もちろん、このラストについては《さっぱりとしたエンディングで悪くない》という意見も見受けられたので、感じ方は人それぞれによるかと思います。 

ただ遺体処理のシーンは『黒い家』の浴室のヤクザ並に唐突にグロテスクです。
ほんの僅かですがラストシーンなので苦手な方は注意です。

ちなみに

この小説にはドミノ・ピザやAmazonなどいくつか企業が実名で登場している。
もちろん学校なども実際にある。
加えて緑の服を着た人をメーガンが『異教徒みたい』と言ったり、真犯人を撃退した武器が智天使像で殴ったときに血に濡れ翼は折れてしまうというあたり、なんとなく示唆的なものを感じる…ような気がするのだが、考え過ぎだろうか…。


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