読了本:むらさきのスカートの女
「謎の女」が登場する本として以前おすすめして頂いた「むらさきのスカートの女」を読んだ。
感想から先に述べると、なんというかとても不思議なお話だった。
主人公はむらさきのスカートの女…ではなく、彼女を逐一観察しつづける黄色いカーディガンの女。
物語はこの黄色いカーディガンの女の視点で、むらさきのスカートの女の日常が描かれていく。
はじめは“ただ友達になりたい”というだけの理由で、クリームパンひとつ食べる仕草まで見逃さない黄色いカーディガンの女の行動を理解できず、ひどく不気味に感じた。
しかし、物語が進むにつれて、むらさきのスカートの女の人生が描かれにつれて
《あれっ…黄色いカーディガンの女はもしかして、純粋に彼女を応援しているだけなの…?》
などと思いはじめ、より一層黄色いカーディガンの女の謎は深まっていく。
むらさきのスカートの女が謎の女なのではなく、むしろ黄色いカーディガンの女こそが謎の女なのだ。
物語の終盤、むらさきのスカートの女こと《日野ちゃん》を助けるため黄色いカーディガンの女は思い切った行動を起こすのだが、そこではじめて黄色いカーディガンの女の正体が判明する。
…だが、そのシーンもなんだか不思議なやり取りで、結局のところ黄色いカーディガンの女については読み終わっても雲を掴むような存在のままだった。
本編の後に作者である今村先生のエッセイが収録されているのだが、そこに読者から《むらさきのスカートの女と黄色いカーディガンの女は実は同一人物なのではないか?》というような質問を貰ったそうだ。
正直、私も途中までそうなのではないかと思っていた。
ひどい目に遭った日野ちゃんの人生を他人のように、振り返っているのではないか…と。
もはや不自然なほど、あまりにも存在を気づいて貰えない黄色いカーディガンの女について、実はもうこの世にいない人で自分が誰だか忘れてしまっているのでは…?などとも考えたほどだ。
(ラストシーンで元気にパンを囓っていてくれたから良かったけれど)
それぐらい、何もかも不思議なのだ。
ただ、今村先生のコメントからして、同一人物という明確な意図を持って描いている訳ではなさそうだった。
物語で描かれるむらさきのスカートの女こと日野ちゃんの人生(の一部)は、結構散々だ。
読んでいて何とも居た堪れないような気持ちになる出来事もある。
登場人物たちはやけにリアルだ。
あー、こんなおばさんたちいる…あるあるだよね…というような同僚、のらりくらりの所長に至っては結構ゲスいことをするのだが、なぜか皆、不本意にも憎めないところがある。なんで?ひどい人たちなのに…と読んでいる私自身とても不思議に思った。
軽妙な語り口のおかげで陰鬱にもならず、コメディっぽさすら感じる黄色いカーディガンの女の独り言も相まって、悲喜こもごもとした物語に感じられた。
狐につままれたような不可思議な話でありながら、とてもリアルで、でもほんのりと温かいような…
やっぱり摩訶不思議な話だ。
言うならば人生、人の世そのもののような…。
『小説は色々な読み方があると教わった』と今村先生は書いていた。
この小説を読んで私は
たとえば辛いことがあって、この人間社会において、誰にも見放されたような孤独な気持ちになっても、どこかで誰かが自分の頑張りを見ていてくれるのかもしれない。
…そういった希望があるのもまた、人間社会なのではないか、と感じた。
今村夏子先生には、末永く活動してほしいなと思う。
この本を教えて頂いた方、ありがとうございました。