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リモートワークでも寂しくない。「ひとつの約束」を続けてわかったこと

2020年も9月に入った。コロナの風が吹き始めた2月、国内感染者の増加で混乱した3月、緊急事態宣言が出た4月。6月から7月と延々と続いた長い梅雨、そして8月いっぱい続いた猛暑。トイレットペーパーやマスクが市中から消え、なぜかお米までスーパーから消えてなくなるという時期もあった。振り返れば遠い昔のようにも感じるが、明らかにこの7か月で私達の生活は新しいスタイルに変わった。「ニューノーマル」というややあいまいな言葉もあるが、コロナ禍以前の生活にはもはや戻れないということは明らかだ。

「リモートワークで全然いける」

シグマクシスは2008年の創業来、完全デジタル化されたワークプレイスに支えられ、社員一人ひとりが自由に時間と場所を選んでリモートワークできる運営だったので、緊急事態宣言が出て「出社禁止」となっても何も困ることはなかった。しかしこの春夏を経て、やはり社員の動き方は少し変化を見せている。

そうはいっても無意識に対面を重視していたコロナ以前に対し、「オンライン」が軸になった。お客様との関係においてはもちろんお客様の方針に準じて活動するが、それ以外は、明確な目的があるときに「敢えて対面を選択する」という感じだ。

経営会議含め、社内の会議は原則オンラインで設定され、たまたまオフィスにいる社員もオフィスからオンラインで各自入る。「三密をできる限り避ける」「移動時の感染リスクを最少化する」というwith コロナ時代の常識に則っているということもあるが、緊急事態宣言で本格的に全員がステイホームになった時期を経て、「対面なしでもいける」という感覚が定着したのだろう。さらに、コンサルタントという職種の性質上、この新しい働き方のメリットを享受しながらいかに生産性と創造性をいかにあげるか、という方向に、一人ひとりの意識が自然と向き始めているようにも見える。新しいデジタルツールやサービスを駆使し、オンラインとオフラインを自在に組み合わせながら、価値創造の形をそれぞれが模索している。

人間、空間、時間。全て「間」がある

しかし、いいことばかりでは当然ない。ウチの会長の倉重さんは、よくこんな話をする。

「人間は”人の間”と書く。その”間”を共有すること、人と人との関係性があって、人間は初めて成立する。空間、時間も同じだね。」

そういう意味で言うと、オンライン環境はいつでも誰とでもつながれる一方で、対面だったら自然に共有できている「間」が失われる。言葉だけではなく、人の仕草、表情、オーラ、ちょっとしたふれあい。呼吸や体温と共に膨大な情報を運んでくれる、柔らかく細やかなノンバーバルなコミュニケーションが、2次元になった瞬間にスコンと消失してしまう。

私の場合、緊急事態宣言が出る出ないで社会が揺れるど真ん中の4月1日、48名の新人を2か月半預かる新人研修が入社式と共にスタートした。同時に、今年度から私の管掌部門となる4つのチームのメンバーを束ねて、新組織の運営も始まった。全員あわせると60名以上のメンバーを一気に面倒見ることになる。そしてこの時、すでに当社では「原則リモートワーク」状態に突入していた。

新しい会社、新しい組織、新しいチームで一人ひとりがスタートを切るにあたり、これまでの日常で当たり前に存在した「間」が奪われる中、どうやって各自が孤立せず、安心して自分らしいパフォーマンスができる状態を作るか?組織長としての私の最大のチャレンジはそこだった。そこで、今回のコラムでは、私の組織運営における「ひとつの約束事」と、そこからの気づきについて触れてみたい。

(※)完全オンラインの新人研修については、「全員のコミュニケーション総量を3倍にする」という方針を打ち立て、オンライン上での縦横斜めのタッチポイントをひたすら増やし続けた。その結果については、すでに当コラムでも触れ、外部のメディアでも紹介されているので、下記リンクでご覧いただきたい。

「では、どうぞ」から始まる一日

ウチの会社のビジネスチャットはslack。4月1日、私は新組織用のチャンネルにメンバーを登録した。私の組織はコミュニケーション、IR、新卒採用、ナレッジマネジメント(研修)の4チームで構成されているが、限られた人数で複数の業務をさばかなければならないので、兼務も複数名。私を入れて総勢15名の組織だ。よく知る者同士もいれば、これまでほとんど関わりがなかった者、3月中旬に入社したばかりの中途社員もいる。

4月1日は入社式、中途入社のオリエンテーション、夕方には全社キックオフ配信と、出だしからメンバー全員八面六臂の日だ。zoomでキックオフもままならないので、私はまずグループチャンネルに挨拶の投稿をして、こう伝えた。「口火は毎日私が切る。だから一日のどこかで必ずひと言はこのチャンネルに何か書いてちょうだい。」

4つのチームは互いのことを知っているようで深くは知らない。私は、それぞれのチームのその日のトピックを軽く書いて共有したり、連絡事項などを連ねて「では、どうぞ」と締めてつなぐところから始めた。それに続くメンバーも、最初の内は「●●@自宅です。元気です。今日はXXの作業です。」などといった淡々とした投稿を重ねた。

しかし、4日も続くと早くも書くことがなくなってくる。何しろずっと家から出ないでPCとカメラに向かって仕事をしているのだからネタ切れを起こして当然だ。というわけで、おのずと私の書くことがプライベートでの出来事寄りになってくるし、仕事についても事務的な話というより、具体的なエピソードやそれに対する感想や意見(時として若干の愚痴)といった生っぽい投稿になってくる。私からの「では、どうぞ」がそんな風になってくると、同じくネタ切れに苦しんでいたメンバーも待ってましたとばかりに投稿モードを変え始めた。

オンラインで新人研修と格闘している研修部は、ほほえましいエピソードや楽しいスクショ写真、嬉しかった出来事を写真やテキストで報告してくる。「共働き」「両方在宅」「保育園や学校が休校」という未曽有のトリプルパンチを食らった働くママたちは、過激なワンオペ状況を時にジョーク、時にじわりとした恨み節を織り交ぜながら投げ込んでくる。ステイホーム期間を楽しくする食材やレシピ情報、ドラマやゲームの話。外出自粛中の育児の相談、長雨が続く中での家の湿気問題やエアコン頓死の悲報など、公私ごたまぜの投稿が繰り広げられ始めた。

「ひと言」とは言え、毎日何かを書き続けるというのは決して楽なことではない。15人は日々の生活からネタをひねりだし、書き込み、リアクションする。日々書くことの大変さを共有するメンバーたちは、各自の投稿を必ず読んで、ひねりの効いたスタンプをちりばめて応援したり、コメント欄でのボケとツッコミの応酬や、ちょっとまじめな相談ごとなどを重ねた。

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※ある日の投稿
「掃除がてら家にあるポケモンのぬいぐるみを並べてみたら、引くほど数がありました。ポケモン、ゲットしすぎだぜ!」(女性・子供1人)

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実際のところ、チームのミッション上、年度初めの第一四半期は全員殺人的に忙しい。新人研修を筆頭に、年初の数々の社内コミュニケーションイベント、事業の対外発表案件、佳境に突入する新卒採用、そして決算と株主総会というIRの山。しかも自宅からの完全オンラインであらゆるイベントをしのがなければならない。ダンジョンをクリアしては休むことなく次に向かって走る、という状態で、私を含めて一人残らず、時間的精神的に相当なストレスにさらされていたことは間違いなかった。

そんな中、毎日の投稿を読み続けながらzoomで実際顔を見ると、笑ってはいるけど疲れていそうだな、とか、今が仕事のテンションの山だな、と読み取れる。公開しているGoogleカレンダーと合わせてみれば、「子育てワンオペで今これだけの仕事量。おそらくかなり睡眠時間を削っているな」といった想像も容易につく。メンバー同士も、日々の積み重ねからキャラクター、特徴、好み、センス、家庭環境、在宅状況、ライフスタイルを互いに知ることになる。会ってもいないし年中話をしているわけでもないのだが、気づけば15人全員の間に、等しく、互いの仕事内容や置かれた状況に思い馳せて支え合う雰囲気が、自然と醸成されていた。各チームの山が一つ越えれば、slack上でお祝いのコメントが飛び交う。何よりも、業務上でチームをこえた助け合いとコラボレーションが自然と現場で湧き起こるようになったのは、予想を超えた動きだった。

7月、新年度になって初めて、X-base原宿で全員が対面で揃い、午後の数時間を過ごした時、みな口をそろえて「初めて集合した気がしない。毎日みんなで一緒にいたような気がする。」と驚きと喜びが入り混じったような歓声をあげているのを見て、心から安堵したのは言うまでもない。 緊急事態下で組織を束ねていたのは、私ではなく、15人一人ひとりの繋がりだった。

つながりたければ、まずは自ら発信をしよう

この「毎日必ずひと言投稿」の約束は、緊急事態宣言が終わった今も続いている。私が夏休みの時だけは、シフトを決めて「最初のひと言係」を分担してもらったが、それ以外は毎日欠かさず私から投稿をする。私の投稿がスケジュールの関係で午後のおやつの時間になれば、みんなの投稿が夕方に殺到することになるし、稀にみんなが投稿を忘れてしまったりするケースでは「ひと言がないよ!」という私のお小言をきっかけに、日が暮れてから慌てた14人のコメントが押し寄せるという日もある。

要は、いかに習慣化していても私の最初のひと言があっての習慣、というわけだが、私はそれでよいと思っている。「自発的にコミュニケーションが活発化するのを目指すべき」ということを正論とする向きもあるかもしれないが、そうとも言いきれないというのが私の考えだ。そもそもキャッチボールは誰かがボールを投げなければ始まらない。コミュニケーションは、「あなたのことを知りたい」「私のことを知ってほしい」という働きかけがあって始まる。相手に自分のことを語ってほしいのであれば、相手を信じて自分からオープンにするのが筋だし、逆に自分から語らずして相手にだけ語らせるのは、立場関係なく失礼だろう。

シグマクシスの12個の「バリュー」のひとつは、「オープン&トラスト~まず自分をオープンにすること。そして相手を信頼すること」。あちこちで「オープン&トラスト」な関係性が拡がり、深まっていく組織は、強くしなやかになることは間違いない。そんな組織を創りたいという想いを明確にする意味でも、毎日最初に口火を切るのは自分の役割でよい、と私は思っている。

オンラインのメリット・デメリットの議論では、「リアルな関係性ではないと相手に踏み込みにくい」「オンラインではコミュニケーションが深くならない」という話も聞く。が、一方で、人間同士の「オープン&トラスト」の連鎖を1対1だけではなく、n対nでできるような場がデジタル環境にはある。大事なことは、自ら率先して自己開示する勇気を持てるかどうか、そして始めたキャッチボールをし続ける「持続力」を持てるかどうか、そこにかかっているのではないだろうか。問題は環境ではなく、つながりたいという強い意志を持ち、行動に落とし続けられるかどうかだ。そしてそれは、これからの時代のリーダーの重要な役割かもしれない。これが、5か月間のひと言運動を通じて、私が学んだことである。

最後に、メンバーに「毎日必ずひと投稿」について、ひと言ずつ書いてもらったので、抜粋してご紹介しておく。


「その時々の喜怒哀楽と共にあげられるこの”つぶやき”を通して15人分の景色を自分事のように感ることができ、なんだかたくさんの豊かな時間を過ごしたような錯覚に。ちょっと得した気分がします(女性)」

プライベートの投稿もあり、”ああ、自分だけじゃないんだ”という安心感。また明日からがんばろ!という気持ちに(女性・子供2人)」

とりあえずなんか言えっていうルールはよかったですね。基本、言いたいことって普段そんなにないですから。(男性・子供2人)」

私は一人暮らしなので会議がないと人と雑談することもないです。このSlackがなかったら意識していなくても知らず知らず寂しさが募っていたかも。(女性)」

ネタ切れで毎回書くことに困っていますが、皆さんの事情を知れたり、リマインドに使えたり、といろいろメリットが。ということで内山さん、さっそく支出申請の承認をお願いします!(男性・子供3人)」

全員が全員を公平に知ることができる、これまでには無い機会。回を重ねるごとに個性がはっきり出てきて、それぞれのキャラをじわじわ定着させていく様が面白い。コロナ禍では会話が家族中心になり、お母さん頭に偏りがちでしたが、毎日強制的に社会に引き戻される感覚でした。(女性・子供2人)」

「このひとこと投稿ネタに困る=家庭内平穏のしるしです。(女性・子供1人)」

オンラインでも、「間」は創り出すことができる。逆にデジタル環境だからこそ、使い倒してみればリアルでは作れない新しい感覚を体験することができる。オンラインとオフライン、デジタルとリアルを対義概念と捉えることなく、人間のコミュニケーションの可能性にこれからもチャレンジしてみたい。

(C&C/内山その)


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