シン・ウルトラマン感想
2022.6.1.
今日、「シン・ウルトラマン」を観た。感動した。最高だった。
理想のウルトラマンの物語を語ってくれたという感じだった。
これが私が求めていたウルトラマンの物語だったと感じた。
まだ感動の醒めやらぬところで書いておく。
この後の記述には完全ネタバレが含まれます。
また今日鑑賞したばかり、勢いで書いておりますので、間違い思い違いも多々あると思われます。後々訂正するつもりでありますが、寛大に お許しいただくことを前提に お読みいただければ幸いです。
いきなりラスト・シーンから。神永が、目を開けて、何も言わないまま終わる。初代では、ハヤタが記憶喪失しているという台詞があったはずだが、今回それはない。つまり、神永がウルトラマンと融合していた間の記憶があるか、否かは視聴者が自分で決めていい、と製作者の許可が出ているということかと考えた。視聴者である自分が、好きなように考えてもよい、ということ。
私が今回、一番気になっていたのは、実はここだった。ネタバレサイトを見ても、神永が記憶を失ったかどうかは出ていなかったので、最後までネタバレしない状態で、観ることができたと言える。
まあ、よかった、というか、納得というか、上手い。
私としては、神永にウルトラマンを忘れてほしくない。ウルトラマンと融合していた間の記憶は持っていて欲しい。その間に、浅見とのバディ関係とか、禍特対の仲間たちとの絆が育まれたわけだから。
そもそも、浅見との出会いも忘れてしまうわけだから、それはもう、感情的に悲しすぎる。この映画の意味が失くなってしまうのではないか……。
浅見との出会い、バディとなって行く過程(みちゆき)、禍特対の仲間たちとの信頼と友愛……。そのためにこそ、ウルトラマンが神永に生命を贈ったということを、忘れないでほしい。ウルトラマンは、神永には待っているバディが、仲間がいるからと、ゾーフィに語っているのだ。
今回のウルトラマンとゾーフィの会話からは、ウルトラマンは死んだと判断できる。融合を分離して、神永に生命を与え、ゾーフィはウルトラマンの身体(遺骸だ)を光の国に持ち帰る。
先にゾーフィと会話した際、神永の遺体を前にゾーフィと語るウルトラマンが、ウルトラマンではなく神永の姿をとっていることが、何やら象徴的な気がする。ゾーフィとの会話の後、ウルトラマンが実体として動き出すと、神永の遺体が消失するところだ。
つまり、ウルトラマンは、神永と、身体を除く、心・精神、魂を共有する存在になってしまっている。それを、どちらの身体に入れて、「生きる」のか。物語の最後で、ウルトラマンは神永の遺体に生命を与え、代わりに自らは、遺体となるのだと思う。
ただ、実は神永と分離されたウルトラマンが死んでしまうのかどうかも、はっきり語られてはいない。
「死んでもいいのか」「構わない」の会話の後、ゾーフィが「わかった、君の言うとおりにしよう」と言っているだけなので。
ただ、初代のときの荒業、「命を二つ持っている」は無かった。
あれは子供向けに、ウルトラマンを死なせたくないための荒業であって、承知の上ではあるけれど、やはり納得できるものではない。
皆、生命は一つしか無いものとわかっている。だから、尊いのだと。
やはり、ウルトラマンは、自分の生命を犠牲にして、神永を救ったのだ。
神永が、自分の生命を犠牲にして、子どもを救ったように。
ただ、そうはっきり描いてしまうと、初代の最終話を否定することになってしまう。だからはっきり描いてはいない。神永の記憶にしても、記憶が残っているとはっきり描いてしまうと、初代の最終話を否定することになってしまう。
初代の最終話を否定せず、視聴者の納得できる、願望を満足させる結末を示す。見事というべきである。
さて、ちょっと落ち着いたところで、振り返りながらの感想を……
というところなのですが、この後は、あまりにも個人的すぎる感想になってしまいますので(どこを見落とした、とか、聞き取れなかったとか、よくわからん(汗)とか……)、項を改めたいと思います。夜も更けて、酒精も回ってまいりましたし(^^ゞ
よろしければ、またお読みいただければ幸甚です。
最後までお付き合いいただきありがとうございましたm(_ _)m
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