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逆さまの宇宙、落下する色彩たちの冒険 -機動戦士ガンダムGQuuuuuuX-

 「機動戦士ガンダム GQuuuuuuX(ジークアクス)-Beginning-」を観てきました。

 ここまで自分の好みに刺さる作品とは、全く予想できていませんでした。アドレナリンが溢れて笑いが止まらず、見られたら通報間違いなしの顔をマフラーで隠しながら帰宅。すぐに買った主題歌「Plazma」は、この数日ほぼ流しっぱなしです。

 まず、ネタバレ抜きの感想から。

 何より、映像作品としてのまとまりが素晴らしいアニメです。画面内で展開される「動き」が全ての中心に据えられ、他の要素は「動き」の快楽をひたすら最大化するために奉仕しています。キャラが動き、メカが動くのに合わせてシナリオが進み、設定が開示され、音楽が流れる。その関係が逆転することはありません。「Animation」として、恐ろしく真摯な態度だと思います。
 結果としてシナリオそのものは少々荒削りにも見えますが、トータルでぶつけてくる快感の量の前では些細なことです。

 次にキャラクター。「刀語」でもそうでしたが、竹デザインのポップでビビットなカラーのキャラが駆け回るのは、観ているだけで楽しいです。モビルスーツやコロニー内の設備がかなりメカメカしく描かれている中に、そんなキャラたちを放り込んで違和感を持たせないのも凄い。集中線を強めに見せたり、デフォルメしたキャラにギャグシーンをやらせたりと、「そこまでやるんだ」と思うほど漫画チックな表現も盛り込まれていて、その幅の広さのおかげで80分間飽きたり目が滑ったりすることがありませんでした。 

 とにかく、シンプルに「見て楽しい」タイプのアニメ作品なので、未見の方は前情報を仕入れすぎて躊躇するより、ぽーんと勢いで劇場に飛び込むほうをお勧めします。まず後悔はしないはずです。



ここから、ストーリーのネタバレが入りますのでご注意ください。



 そして、大いに話題になっているシナリオについて。

 私自身は、ガンダムシリーズに強い思い入れはありません。きちんと通しで見たテレビシリーズは、「ダブルオー」「鉄血のオルフェンズ」「水星の魔女」の三つ。いわゆるオリジンのシリーズに属するものは「閃光のハサウェイ」しか観ておらず、宇宙世紀の概要については「ゾルタン様の3分でわかる宇宙世紀」を観た知識だけという体たらくです。 
 なので、「シャアがガンダムに乗る」という展開については、正直「ふーん」程度の印象で、「衝撃!」とまではなりませんでした。赤い人は噂通りムチャクチャだなぁ、くらいの感想です。
 しかし、いよいよシナリオが本来の宇宙世紀から乖離し始めると、規模の大きなストーリーが前日譚特有のテンポの良さで展開されるおかげで、これがまた面白い。一年戦争終盤、襲いくる巨大な危機に少数精鋭で立ち向かうジオンの兵(つわもの)たちを見ると、「この世界では、彼らこそが後に伝説となるのか」という感慨を感じるほどでした。

 その感慨も、赤い人のアレな行動で文字通り吹っ飛ぶわけですが。なんだ、あのアドリブ王子。

 この前日譚パートの映像や音はファーストガンダムのそれに寄せていますが、前述の「動きの快楽の最大化」という軸は、この時点でしっかりと据えられています。ドグファイトを闘い、シャリアの手を握るシャアの「動き」=行動が宇宙の歴史、この物語を作っていったのだということが、演出の面からもガッチリ明示されます。

 そして、いよいよ本編となるU .C.0085パートに入ると、一年戦争パートで発生した「逆さま」、すなわちシャアがガンダムに乗った影響が、バタフライエフェクトのようにシナリオ全体へ浸透していきます。逆転した戦争の勝敗、治安維持に繰り出すザク、放浪する赤いガンダム。ファースト以来、長年にわたって様々な要素が付け足され詰め込まれた「宇宙世紀」というオモチャ箱は、この仕掛けによって逆さまにひっくり返され、中身は宙に投げ出されます。

 「ガンダム」と同じく宇宙でのロボットアクションを描いた長谷敏司のライトノベル「ストライクフォール」に、印象的な言葉が登場します。「宇宙では、あらゆるものが落ち続ける」。ジークアクスの中でも、アクションの多くは落下として表現されます。マチュたちの戦いは常にコロニーの外縁部、下へ下へと向かい、やがてエアロックを通って宇宙へと「落下」します。コロニー内部での2機のガンダムの戦いも、上下左右が激しく入れ替わる不安定なスカイダイビングを思わせます(コロニー内戦闘の科学的に正しい描き方、でもありますが)。
 マチュは「空って自由ですか?」とジャンク屋・ポメラニアンズに問いかけますが、少なくともイズマコロニーの空は自由ではありません。それはあらゆるものが落ち続ける宇宙の虚空であり、スペースノイドがもがいても何処にも辿り着けない現状(同じくマチュの鬱屈)そのものであり、そしてひっくり返された直後のオモチャ箱の中身のように、全ての(宇宙世紀を構成する)要素が「逆さま」で宙ぶらりんなシナリオの状況と相似でもあります。

 そこに挿入される例外、すなわちシャアに代わってストーリーを駆動する「動き」の源が、三人の少年少女です。全ての始まりである改札口で(単なる落下ではなく)跳躍するニャアン、彼女を追いかけ遂にはガンダムのコックピットにまで飛び込むマチュ、そしてマチュに「魚のように自由に」と語りかけるシュウジ。
 魚の棲む海と宇宙の虚空とは、無重力という点で似ているようで、まるで違います。海の水は音や振動、情報を伝える媒体となり、人の「動き」に反作用を返すことで泳ぐ「自由」を与えてくれるもの。光を反射、屈折させて「キラキラ」を映し出すもの。シュウジに導かれて「キラキラ」の中に身を投じたマチュは、虚空で隔てられているはずの存在を当然のように感じ取り、シュウジと自在に連携します。この作品におけるニュータイプは、宇宙を虚空ではなく色鮮やかな海として感じ取り、その中を「魚のように」泳ぐ自由を手にした存在なのです。

「Beginning」のストーリーは、マチュがニュータイプとして覚醒し、初めてのクランバトルに勝利するところで終了します。今後は「自由」を得たマチュの行動により、シナリオに散らばる他の要素たちも落下し続ける不自由から相対的に解き放たれ、ジークアクス宇宙での位置を見出されていくはずです。正直、宇宙世紀に詳しくない私には、その予想がつけられません……
 シャアの残した引力を追い続けるシャリア。歴史を揺るがすMSを落書きと生活費稼ぎに使うシュウジ。ニャアンのシナリオ上の立ち位置も、まだ明確ではありません。個人的にはエグザベのような未熟なエリートキャラが大好きなので、彼の覚醒がかなり楽しみです。それぞれに異なるカラーを背負ったキャラクターたちは、この「逆さま」の宇宙で(落ち続けるだけでなく)何を拾い上げ、何と結びつき、どんなプラズマを放つのでしょう。

 ジークアクスの大仕掛けは、「007」シリーズで言えば「スカイフォール」のようなものです。条件の揃った一回限りしか使えない奇手。それだけに不安もないではないですが、アクションの快楽を中心に据えるコンセプトがズレない限り、(シナリオの出来は別として)アニメとしての楽しさは保証されていると思います。本放送でのマチュたちの冒険が楽しみでなりません。

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