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煙突ファイヤー、ボブ独走

 校歌というのはやたらめたらと地元の山や川を褒め称える。マイ・ハイスクールの校歌も、岡山三大河川の一つである旭川をたたえていた。

 旭川に加え、地元のK山も(大した山でもないのに)賞賛している。そのK山をランニングで登るというのが、我がバドミントン部の習わしの一つであった。バド部の活動の半分くらいはラケットを持たずに行われる体力トレーニングであった。山登りもそういった類のトレーニングで、少なくとも月一回以上は行われた。中学の頃も死ぬほど走らされたが(下記参照)、高校でもそれと同じくらい、あるいはそれ以上走った。おかげさまで持久力はつき、体力テストの20メートルシャトルランでは常に125回以上であった(125回が満点だったのだ)。「シャトルランで125回以上いかぬものはバド部にあらず」という平家みたいな格言もあったほどである。

 さて、そのK山であるが、まずそのふもとまで行くのに走って数十分かかる。そこから頂上までランニングし、さらに学校まで帰るのだから、けっこうな距離を走る。入部当初、はじめて先輩に連れられK山に登ったときは本当に死ぬかと思った。学校までの帰り道、自販機を見つけては、金がなくては何にもできないということをしみじみ痛感しつつ、くたびれた足に鞭を打ちつつヨタヨタ走った。

 しかし、慣れというのは何にでもあるもので、そのうち平気で走れるようになった。悪しき伝統ほど連綿と引き継がれるもので、自分に後輩ができるとその苦しむ顔を見るのが楽しみであった。今にも倒れそうにぜえぜえ言っている後輩の横で、「節子、それドロップやない。低めのスライダーや。」と、『火垂るの墓』の清太のモノマネを呟きつづけた。概して疲れているときは、こういうくだらないものがツボに入ってしまうものである。「勘弁してください」と、後輩は泣き笑いしながら懇願してきた。やめるわけないというのに。

 K山ランニングのほかに、「キンハ」というトレーニングもあった。キンハとは「筋肉破壊トレーニング」の略である。これは下半身を徹底的に苛めぬくメニューで、アヒルとかクモとかウサギとか、ひたすら動物の名の付いたトレーニングをいくつかのチームに分かれて行う。ビリのチームには、そのあとさらにスクワット100回の罰ゲームが待っていた。しかしこの罰ゲームは有名無実そのもので、実際には結局全員でスクワット100回やることになっていた。「みんなでやろう」という、これも悪しき伝統である。

 高校時代に行ったこれらのトレーニングの貯金(貯筋?)のおかげで、大学時代は大してフィジカル面を鍛えずに済んだ。

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