noteって何書くとこだっけ。
第105話
あくまで自問自答ですからね。
他のnoterさんに「お前の記事はなってない」と
叱責するタイトルじゃないですからね。
そこんところ履き違えないでもらって。
第102話と第103話の間にこんなの↓投稿したと思うんですけど、
で、書く時間がないという話を第104話でしたと思うんですけど、
書けない理由は他にもあって、
それが、
書く必要がないと思ってしまうこと
です。
「思ってしまう」なんて表現は
書くことを正義とする立場からの言い方ですが、
冷静に、
書く必要がないと思ったから書かないという判断は
何も間違っていません。
反対に、私が週6投稿とか吐かしてた頃の、
何でもいいから1000字埋めて投稿するというスタンスのほうが
間違っていると言えるでしょう。
(↑これとか。)
ところで、
直近の私の「書きたいこと」とは具体的に何だったのかについてですが、
この場にて、書く必要ないという前提のもと書きますと、
(なんか難しいことやってますね。)
何の話だか、「例の」がなんだか分からない人がほとんどでしょう。
例のっていうのは、↓これとか、
あとは
下書きを担任の先生に提出して直されて、精神がおかしくなった
っていう話は↓これの⑦にあるし、
元を辿れば、
指定校推薦の話が出てきたのは例の3者面談、
『この間の諸事情』シリーズです。
知らない人からしたら何のこっちゃさっぱりなんですけど、
知ってる人からすれば
「指定校推薦、落選」は物語の本筋における大きな展開となっているんです。
でも冷静になって、
私の物語を追えている人はいねぇよ、
となり、書くことを渋っていたわけです。
↑これを書いたのはnoteを始めてから約2週間後、
割と初期から変わってないんですけど、
それ以降に出た記事も概してこれに則っており、
我ながら先見の明があったなぁと思うのですが、
ここにも書いてあるんですよね。
「物語を追うように読んで」って。
物語なんですよ。
ですが、最近思うんです。
私に物語があるように、
誰にだって物語があるののだから、
別に私が提供する必要はないのでは、と。
ここでの「物語」は広い意味での「物語」で、
文字に起こしていない、単なる個人の体験が積み重なったもの
も指します。
もちろん、自分以外の物語に触れたい人だっています。
小説などの、本来の意味での物語で追体験をしたいって人ですよね。
ですが私ので追体験するのはどうなのか。
もっと腕のある作家のものでいいだろうよ。
と、最近卑屈になってしまうんですよね〜。
ところで、
私、記事以外にオリジナル曲もいくつかnoteに投稿しているのですが、
これらの曲、私からしたらとても満足度が高いんですよ。
でもなんでかというと、
これらの曲は自分の経験から来ているもの、
すなわち自分の物語のインスパイアソングであり、
この歌詞の一節はあのシーンから来てるな、と
思い返せるようになっていたらするんです。
全シーンを追えてる私は思い返せるんです。
が、
読者のみなさんはというと…
ね?
別に責めてるわけじゃないですよ。
結局は自己満なんですよね。
以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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