受験戦争とアイデンティズム②
前回↓
第118話
本物の戦争と受験戦争の内面的な側面には
もう一つ共通点があります。
それは、一つにまとまろうとする動きがあることです。
一つにまとまらないと、一つの目標に突き進めないのです。
国が一つにまとまるというのは
ナショナリズムとか全体主義とかのことです。
かたや、個人(一人)が一つにまとまる。
これもちょっとした矛盾のように見えますが、
これを表す表現は存在しています。
「アイデンティティーの形成」です。
ナショナリズムに似せて「アイデンティズム」と呼んでます。
完全なる造語です。
別に受験のときだけじゃないですけどね。
でも私の場合は、
受験生になるにあたってアイデンティズムの動きが高まりました。
まず「やりたいこと」を決めなきゃいけないのでね。
人によるんですかね、
私の場合、やりたいことなんか毎日変わるので。
(その大半は勉強に関係のないことなんですが。)
同一人物としての一貫性がないんですよね。
最近の話をしますと、
今でこそ志望校は決まっていますが、
それは、
8月に指定校推薦の志望理由書を書いて、
(結局それは校内選抜で落ちたんですけど、)
その時の衝動を、虫捕りのごとく捕えて逃さないようにしてるんです。
その大学、そんなに行きたくない
という気持ちはいつでも湧くんですけど、
その都度あの時の衝動を引き合いに出して
なんとか抑えてるんです。
言論統制っぽいですね。
ここも戦争と似ています。
今はまだいいんですけど、
あの頃。私がnoteを始めた初期の頃(半年前)。
この辺り。
むっちゃ受験から逃げようとしてる。
若気の至りだったんですかね。
今や"諦め"。丸くなりましたよ。
あと、私自身も忘れてたんですけど、
↑これに書いてあるように
私は2人いたんです。
そして、4月12日、私の誕生日に作った曲『カサネ』に、
(この曲はDTMに起こしてないのですが…。)
ちょうど誕生日だったので、
自分の中にいる2人の自分を
「18歳の自分」と「17歳の自分」と呼んでみたんです。
あの頃の私は、
1人の人になることに生き急いでたんですよね。
でも不思議なもので、
一つに統合しようとすればするほど、
両者が何なのかをはっきりさせようとしたせいで
分離していったんですよね。
それが
「重ねた色は未だ混ざらすに
白と黒に分かれて在っている」
だったんです。
あれから半年。
"諦め"ムードの私は、わりと一つになってきました。
一つになることが何だか分かった気がします。
それはまた、"悟り"が何だかが分かったかのような。
つづく。↓