造語を使うこと
第48話
造語を使ってる人ってどう思います?
あなたはその造語を知らないものとします。
なので正しい反応は
「知らんがな」
ですよね。
話し手・書き手:「私はこの現象を◯◯(←造語)と呼んでいるのですが、」
受け取り手:「…知らんがな。」
こんな感じ。
そもそも、
言葉を発している限り、"相手"に伝えようとしているはずなので、
(独り言は例外。)
受け取り手が絶対に知らない単語、すなわち造語を使われても
「知らんがな」何ですよ。
「私はこの力を◯◯と呼んで…」
知らん。知らん。知らん。
もう厨二病じゃん。
…そういえば、厨二病の人って
相手に伝えようとしてるんですかね。
伝えようとしていなかったら、例外である"独り言"に
広義ではなるのですが。
と、他人のように書きましたが、私も厨二病患者なんですよね。
で、第43話〜第47話はで「しぐん的世界観」と題して、
これまでに考えてきた世界観、いわゆる厨二病設定を
つらつらと書いてきたわけですが、
…まあ、造語が止まらなかったですね。
それ以前から片鱗は見えていましたが、
(ex:第21話「文才の狡智」)
まあ第43話〜第47話は特にヒドかったと。
もう読ませる気ないだろと。
じゃあ"独り言"ですか?
ここが難しいんですよね。
第41話で書いたことなんですけど、
まず、私は私のファンなんですよ。
なので「ファンである私」に伝わればそれでよかったんですけど、
その「ファンである私」が、noteを始めてからでしょうか、
「布教したい」と言い出したんです。
ここで"独り言"じゃなくなるんです。
なので、自分以外にも伝わるようにしなきゃいけないけど、
本来的なスタンスは「独り言」。
「独り言」を、一般公開している。
でも一応、伝わるレベルにしないと公開はできない。
(公開していないも同然。)
というように、難しいんですよ。
だからといって、
私は造語を使うのをやめません。
造語って、便利なんですよ。
どういうようにかというと、
造語は、一度考えた事を保存しておく「フォルダ」の役割をするんですね。
例えば、「文才の狡智」。
これは、「情が動いたときに文章表現力が上がる現象」のことですが、
もし語を造らなかったら、またそういう場面に遭っても
何も思わないし、そこから論は進まない。
言語論的な話をしますと
言葉は世界を文節し、事物をあらしめるんです。
哲学用語「理性の狡智」をもじって
「文才の狡智」と名付けることでそれは存在し、
またそういう場面に遭ったときに
「ああ、あれね。」と思えるのです。
また、一つの文書内で使われる造語は、
数式の「X(X=〜〜〜とする)」のように
長ったらしい表現の代わりに置ける、という利点もあります。
ていうかこっちのほうが重要だったり。
要するに、
造語を使うことを真っ向から否定するのはやめてほしいな、
と言いたかっただけです。
以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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