当たり前の仕事(2024.05.05〜05.11)

ミユキはコンビニのレジに商品をスキャンしながら、カウンターを挟んで向かい合っている男性客に声を掛けるか迷っていた。
朝10時半という、通勤からもランチからも外れた時間帯に住宅街のコンビニに週に2度ほど現れる男性は、いつも眠そうに、無表情で商品をカゴに入れ、会計をQR決済し、手持ちのエコバッグに無造作に放り込み、最後は会釈をして帰っていく。
ミユキにとって彼はこれまでただの常連客だとしか思っていなかったが、二週間前の会計時に起こった出来事がきっかけで、彼女は現在声を掛けるか迷っている。

一昨日の会計金額は税込で1000円ぴったりで、ミユキは何の感慨もなく「お会計1000円になります」と彼に告げた。
普段であればポツリとQR決済のアプリ名を返してくる男が、この日はレジの金額表示を見て目を丸くして固まっている。
あの、と空いている店内で催促する必要もなかったのだが声を掛けると男は我に返った様に頭を下げてQR決済の画面をこちらに差し出す。
普段と違い、どこか嬉しそうにエコバッグに商品を詰め、印字されたレシートをまじまじと確認しながら会釈をして退店していった。
その背中にミユキはありがとうございましたと声を掛け、普段と様子が違ったことが心に引っかかりながらもシフトをこなした。
男性客の事を思い出したのは、仕事帰りの癖で歩きスマホをしながら開いたSNSを見た瞬間だった。
毎日の買い物の会計で1000円ピッタリを目指す記録を続けるアカウントをミユキはフォローしていた。商品の写真はないが、いつもレシートの写真だけが投稿されているそのアカウントは、プロフィール欄に「値札は見ないで食べたいものだけで会計1000円を目指す」と書かれている。
アカウント名は直球の「税込1000円」である。
ミユキは「会計777円のお客さんが喜んでいて私も嬉しかった」という何気ない自身の投稿へ、このアカウントからイイネがついた事で知り、よくわからない拘りの人もいるんだなと思って気まぐれにフォローしていた。
そのアカウント、税込1000円の最新の投稿が昼前にされており、添付されたレシートの写真にはあの男性客が買っていった海藻のサラダと別売りのドレッシング、おつまみザーサイ、ハイボール、カニカマスティックが印字されている。
普段の投稿には何も文章を添えていないものの、今回は税込1000円を達成した事の喜びからか「10年ぶり4回目」と言葉が付け加えられていた。
普段は人の購入したものなど覚えていないが、男の普段と異なる姿がミユキに忘れさせないでいた。
次に男が来店したらお祝いの言葉を掛けてあげようかと思ったものの、この前はピッタリ1000円ですね、もおかしなセリフに思えるし、何よりアカウントを見ていますと言って喜ぶかどうかも解らない。
ミユキはどうするか決められず、大した出来事でもないのだからとそのまま結論を先延ばしにした。

結局、その後も2度来店した際の890円と944円のレシートはやはりSNSに投稿されていたことから、男が税込1000円本人であることは確認出来た。
会計の963円をQR決済で処理し、エコバッグに商品を詰め始める男にミユキは勇気を出して声をかける。
「あの、もしかして税込1000円さんという名前でSNSされていませんか?」
男の手が止まり、こちらと目が合う。
困惑している訳でも、気味悪がっている訳でもなさそうなボンヤリした表情で男は少し間を開けて「はい、そうですが」と返してくる。
「私、たまたまアカウントをフォローしていて、その、2週間くらい前、1000円おめでとうございましたと伝えたくて。いきなりすみません、気持ち悪かったかも知れませんけど」
経緯の説明が何となくネットストーカー染みていて恥ずかしくなるが、男は照れくさそうに微笑んで会釈をする。
「いえ、ありがとうございます。フォロワーも全然いないのにまさか直にお祝い頂けるとは驚きです」
男の穏やかさに気持ちが緩んだミユキは、レジ待ちの客がいない事を目で確認してから彼に率直に問いを投げかける。
「でもどうして偶然1000円になるかどうかを記録されているんですか?」
ああ、と男はどう説明すべきか考える素ぶりを見せ、それからポツポツと話し始めた。
「僕の仕事は『当たって当たり前、外れたら怒られる』という類のものでして、あのー天気予報とかそうだと思うんですが、業種も全然違うんですがそういう仕事をしているんです。それって上手くいくのが当たり前で褒められないって結構ストレスじゃないですか。何かあるのは失敗した時、みたいな。だから気分転換に偶然に任せて、成功しても失敗しても食べたい物選んで買ったんだしいいよね、と思いたくてあのアカウントを続けているんです」
世の中の仕事の大半は上手くいくのが当たり前として求められているが、確かに天気予報が当たって感謝したことはないかも知れないとミユキは思った。
自身も接客をしていると理不尽事を言われることもあるが、感謝される事も多くある。そういうものが何もなく、マイナス時のみとやかく言われる仕事というのはストレスが溜まるだろうなとミユキも思った。
「なんとなく解る気がします。これからも応援しています!応援というのが正しいのかはアレですけど」
「ありがとうございます」
いつもの様に会釈をして退店していく男の背中にいつもの様に「ありがとうございました」と声を掛け、ミユキは声をかけてみて良かったなと感じていた。

男はため息をついた。
当たって当たり前、外れたら怒られる自分の仕事を続ける為とは言え、気が重かった。
背中に宅配用のリュックを背負い、ヘルメットにサングラスという姿でマウンテンバイクを漕ぎながら昼過ぎの住宅街を進む。
昼間に活動するのは随分と久しぶりな気がして、落ち着かない。
男の前方からあのコンビニの店員が歩いてくる。
職場から家に帰るのだろう、スマホを見ながらこちらに気付く様子もなく歩いている。
男は店員に対して道路の逆側を進み、すれ違ったところで自転車を静かに停める。
周りに人気がない、バルコニーや窓から外を見ている人間もいなかった。
「自分で蒔いた種だ、申し訳ないけど始末はつけるよ」
小さく呟いて彼は振り向き、彼女に向かって引き金を引いた。
あの場を誤魔化しても良かったものの、自分自身を特定する情報を持った人間を生かしておくといつか自身に危険が及ぶかも知れない。
暗殺で生計を立てている男としては、自分の些細な喜びを共有してれた一般人を巻き込むことは心苦しくもあったが、仕方がない。
倒れる女性店員に無言で会釈をして、男は人眼に触れる前にその場を離れた。
当たって当たり前、外れたら怒られる。
もしくは弾が当たって当たり前、外したら当てられる仕事。
ストレス発散とは言え、誰にも関わらない新たな趣味を見つけないといけないと男は反省するのだった。

この短編はこの日記から連想して書きました。
https://oka-p.hatenablog.com/entry/2024/05/12/200431

またー。

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