電動自転車を駆って(2024.04.14〜04.20)

ミサキは初めての戦闘に全身が緊張しているのを感じていた。
ペダルを踏む足は重く、バッテリーは十分残っているのに普段よりも前に進まない様に感じてしまう。
サーベルを持つ手は汗でぐっしょり濡れていて、滑らない様にとより強い力で握り締めているせいか切先が小刻みに揺れている。
お互いの領土が重なる最も外周の防衛線での戦闘ということは、自分と同じくらい戦績の浅い相手である可能性が高い。世代が近い様に見える女性が相手なので尚更だろう。
傘スタンドに立てられた傘型サーベルを構えることを躊躇した相手の表情を思い出し、ミサキは勝機があるのだと自分に言い聞かせる。
訓練では感じたことのない焦りの中、ミサキは傘型サーベルを構え、相手に向けて一直線に電動自転車を駆る。
相手も遅れてこちらへ向かってくる。覚悟を決めたのだろう。
ミサキは師匠であるモモコが掛けてくれた言葉を思い出す。
『覚悟を先に決めた方が勝つんだよ、何故なら受け身じゃないからね』
ミサキは相手が右手に傘型サーベルを持っているのを目視し、車体を相手の左サイドを抜ける様に傾ける。これで相手のサーベルが届きにくい範囲へコースが取れた。
もう相手に持ち替える猶予はない。
苦しげな相手の表情を見て、自分が緊張しながらも冷静に状況を把握できている事を自覚する。
すれ違い様、ミサキは相手の胸元をサーベルの切先でヒットする。
防犯塗料の様な蛍光色が弾け、同時にブザーが鳴り響く。
「勝った!」
相手の電動自転車がブレーキをかけ、失意に肩を落としている女性の背中に少し憐れみを投げかけ、前へ向き直ったミサキの眼前に電柱が迫っていた。
直後、衝撃が車体から身体に伝わり、身体が宙に浮くのを感じる。

「折角決闘で初戦勝利飾ったのに事故っちゃうなんて、これ戦勝ボーナスほぼ飛びますよ」
街の自転車屋を兼ねた指定修理工場であるキノシタサイクルの一人息子であるコウタはホイールごと歪んでしまった前輪と割れた右側のライトを手際よく外しながら背後のテーブルに突っ伏しているミサキに声をかける。
「基本給残るなら御の字だと思うしかないな・・・怪我もなかったし」
「それはそうですね、何にしても勝てたのが良かったじゃないですか」
コウタは店の神棚の下に設置されている壁掛けディスプレイに目をやる。
ミサキの守った領土の最西端に「防衛成功」の文字が点滅している。
ミサキは自身の住む第二校区の守護者として校区内のPTAにパートとして雇われている。
少子高齢化が進むこの国において、学校や教師の数はどんどん減っていた。
子供に優れた教育を受けさせる為、学校が少ない地域は外へ学びの場を求め、逆に優れた学校を抱える校区は人数増加による機会の低下を恐れ流入を防ぎたいという意図があった。
互いの狙いを合法的に解決する為に校区を領土と見做し、ルールの上で奪い合う仕組みが導入されたのは10年ほど前だと言う。
それが電動自転車と傘型サーベルによる決闘の勝敗での陣取り合戦である。
電動自転車も傘型サーベルも平時に悪目立ちを抑制するための擬態措置だった。
車体の強度やスピードは桁違いに改造されているものの、外見上は経験者以外には多少の知識がある物好きでなければ一般の子育て世代の車両と見分けることは難しい。
そんな車両を駆る各校区の守護隊にミサキが加入したのは半年前だった。
翌年に控えた一人息子リョウマの進学に際し、ミサキは第二校区内での進学を希望していた。
ところがミサキの住む地区は第三校区が領地を拡大してきた場合に第二防衛ラインを突破されると第三校区に取り込まれる場に位置していた。
治安の悪化が懸念される第三校区入りを自分の力で少しでも阻止できないか、という思いとそこらの商業施設でのパート代よりも魅力的な給与に惹かれてミサキは第二校区内の守護隊を志望し、試験と訓練を潜り抜け、一番外側の第一防衛ラインに配属されていた。
「自分の子供以外の将来も懸かっていると思うと緊張が凄くて上手く動けないんだよね」
リョウマの為と志した役割であるが、息子の友達を含む近所一帯の進学先の命運を背負っていると思うとその責任に押しつぶされそうになる。
「最初は皆さんそう言いますよ。でも段々慣れるというか、自分の子供の校区を守れば自ずと周りも守られる、くらいに思える様になるそうです」
前輪を取り付けながらコウタは続ける。
「それに中には単純に割のいいパートとして割り切ってる人もいますし、稀に戦いを求めて子供が卒業して行っても役目を続けてる人もいるくらいですから、やっぱり場数なんじゃないですかね。俺はやったことないので解りませんけど」
「割のいいパートだとは思ってるけど、流石に好んでやり合いたいとは思えないなぁ」
ミサキはコウタが初戦勝利のお祝いにご馳走してくれた缶のカフェオレのプルタブを爪先で弄んでいたが、ようやく開封して飲む。甘ったるくて美味しいとは言えないが、大学を卒業したばかりの若者が自腹で祝ってくれたものだと思うと有り難くて染みる。疲れが少し和らいだ様な気がする。
「早くこの緊張に慣れないと負けちゃうかも。任期の初回更新までまだ半年くらいあるから、戦闘がなければいいなってこれから毎日思っちゃいそうだよ」
初回は半年の訓練兼先輩との合同配備期間と半年の単独配備期間の1年契約になっていた。
まずは息子が入学を果たすまでの2年間を遂げられたらいいと思っていたが、1年を勤め上げられる自信すらも今日の実戦で揺らいでいた。
「この前テレビで見たんですけど、オリンピックに出場するアスリートの人ですら緊張ってするんですって。あんなに堂々としてるのに、実際は緊張しちゃうんだそうです」
ライトを交換し、作動するかを確認しながらコウタが続ける。
「緊張するのは仕方ないけど、緊張した時に自分がどうなるかを熟知しておけばカバー出来るんだそうです。視野が狭くなるとか、利き手ばかり意識して逆側の動きを疎かにしちゃうなとか」
それを聞きながらミサキは先の戦闘で自身のペダルを踏む力やサーベルを持つ手汗が気になって強く握り込んでいた事を思い出す。
そういう状態に陥ることを想定し、その対処法や考え方を押さえておくという事だろう。
「対処法、ねぇ」
「ミサキさんの場合は訓練とか実戦とかまだ足りないって自負から来てる緊張でもあると思うので、準備の段階である程度緩和してあげる方法もありだと思いますよ」
「ペダルの踏込みは速度計で見える化しておくとか、手汗はグローブ着用しておくとか?」
ご名答、とコウタは手を叩く。
修理が終わったのか立ち上がり、店の隅のラックからバインダーを抜き取って戻ってくる。
差し出されたバインダーにはブレーキや変速機などのカスタム用のパーツのパンフレットが纏められていた。速度計だけでも4種類ほどあり、値段もピンキリだった。
「商売人だね、ほんと」
ミサキはコウタが親身に愚痴を聞いてアドバイスをくれているのだと思っていたが、何でも結局は商売に繋げられるのだと感心と落胆が混ざった顔で彼を見上げる。
「海老で鯛を釣る、ねぇ」
缶のカフェオレのプルタブを爪先で弾いて音を立てながらため息をつくミサキにコウタは笑い声をあげる。
「それはちゃんとお祝いのつもりでしたよ、本当ですって」
ミサキも本気で責めるつもりもないので釣られて笑ってしまう。
「本当は無傷で戦勝ボーナス受給したら売り込もうと思ってたんですけど、今日は宣伝だけにしときます。グローブなんてネットで買う方が種類あるしすぐ届くので、メーカーだけでも写真撮って参考にしてくださいよ」
言われた通りにカタログをスマホで写真に収める。
コウタは最後に傘型サーベルに蛍光塗料を補充してくれ、その後で立ち会いの最終確認を行った。
「そう言えば、モモコさんの初戦は全速で横倒しになったせいでもっと悲惨でしたよ」
ミサキが受領書にサインしているとコウタが思い出した様に言う。
100戦100勝の第二校区のエースと名高い師匠であるモモコがそんなデビューを飾っていた事をミサキは知らず、まさかと素っ頓狂な声をあげてしまう。
「悪い経験も経験には違いないから、って言ってました。だからミサキさんも人より多く経験出来たんじゃないですかね」
「励ましてくれてありがとう。今度勝ったら速度計お願いするわ」
勝った上に悪い経験まで出来たことは自分にとってマイナスではないかも知れない。
収支としても損失が報酬の内で済んだこともポジティブに捉えていいのではとミサキは思い直した。
「楽しみにしてます」
空き缶を受け取りながらコウタが言う。
ふと壁掛け時計を見ると保育園にリョウマを迎えに行く時間が迫っていた。
「あ、そろそろ迎えに行かなきゃ」
「一般の速度でお願いしますね」
改造された自転車は一般的な電動自転車より遥かにスピードが出てしまうので急いでいるとつい使いたくなってしまう。コウタはそんな願望に釘を刺したいのだろう。
「はい、気をつけます」
素直に受け取ってミサキは自転車を押して店を出る。
努力義務のヘルメットをつけ、ゆっくりと保育園に漕ぎ進めながら、ランドセルを背負って走り回る子供たちを見つめて微笑む。
愛する息子の校区を守るために働けることは、自分にとって自慢になる日が来るかも知れないとミサキは思った。
お母さんね、リョウマとお友達のために頑張っているんだよ。
親のエゴと言えばそれまでだけれど、そんな事を言える日が来ればいいなとミサキは願いながらペダルを少し強く踏み込んだ。

この短編はこの日記から連想して書きました。
https://oka-p.hatenablog.com/entry/2024/04/21/200440

またー。

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