ミスマッチング(2024.02.04〜02.10)

僕は、季節外れなのかすら判別がつかない己の風情の無さを呪うことで現実逃避を試みながら駅へと歩いていた。
予報も見ずに出社した今朝の自分のせいで、帰りの自分は強風に雨を叩きつけられている。アニメで観たような横殴りの雨で台風かと錯覚するほどだ。
ノー残業デーに乗り損ねる不運の結末が荒天に見舞われるというのは絵に描いた様な不運さである。入社して3年、一番酷い目に遭っている自覚があった。
風で威力を増した雨から逃れる術もなく、駅前にしか店らしい店もない住宅街に会社を選択した就活生の頃の自分まで遡って呪いながら、どうせずぶ濡れなのは変わらないのだからと走るのはすぐに辞めてしまった。
駅前のロータリーが見えてきた頃に順番に大手コンビニチェーン3社の前を順番に通り過ぎる。今更傘を買っても仕方がないのもあるが、ずぶ濡れの自分を見て店員に仕事を増やす客だと思われることにも今の自分は傷ついてしまいそうだから、というのが正直な所だった。当たり前だけれど、店というのは人が集まりやすい所にしかない。
帰ったらシャワーを浴びてさっさと寝ようと思いながらロータリーに差し掛かる。
広場となっている空間のど真ん中に、裸の男が力強く踊っている石像が立っている。
自分の会社から駅に向かう最短ルートとしてこの石像の前を通るのが日常になっているが、名前も作者も知らないほどに愛着はない。
「雨に歌えば、か」
少し見上げる様にその顔を伺う。雨に濡れても喜びに満ちていて羨ましい気持ちになる。
「うわ!」
視線を正面に戻すと、目の前にビニール傘が見え、骨で目を突きそうになり思わず仰け反りながら立ち止まった。
「ゴウさんですか?」
傘の持ち主は小柄な女性だった。金髪のセミロング、パンパンのダウンジャケット、生地をダウンに費やしたせいで足りなくなったのかと思うほどのショートパンツ。
「ち、違います」
突然目の前に現れた異性に尋ねられ、ゴウというのが人の名前だと認識するのに数秒を要してしまった。
「いや、ゴウさんでしょ」
「違います」
「待ち合わせしてますよね?」
「してません」
「待ち合わせ、してますよね」
「してません、僕はゴウさんじゃないです」
そこで女性がスマホを取り出し、何やら操作する。
「本当に待ち合わせしてませんか?メッセージ送ったので、スマホ見せてください」
言われたままポケットからスマホを取り出す。
何の着信もない画面を苦々しい表情で睨みつけながら、彼女は僕に言った。
「とりあえず、どっか入りましょう」

知らない女性と二人で僕はファミレスのボックス席に向かい合って座っていた。
濡れてるから、とやんわり逃げようと試みたものの、彼女は何故か背負っていたリュックにタオルを備えており、それを差し出された。
言い訳せずに拒否したり、走って逃げる事も出来たはずだけれど、何故だかついてきてしまった。
美人局やセミナーや宗教の勧誘だったらどうしようとじわじわと恐怖が滲む僕を他所に彼女は呑気にメニューを眺めている。
「ゴウさんとは、マッチングアプリで待ち合わせしてたの」
「こんな住宅街で?」
利用した事がないものの、そういうものは繁華街でやるものだと思っていたので素直に質問をしてしまう。
「そう、泊めてくれるって言うから。でも真面目そうだったし、やり取りだけでやり切って満足しちゃったのかな。真面目そうな人には、たまにすっぽかされるんだよね。こんな天気の日にすっぽかされるのは歴代最悪だけど」
話を聞きながら、見知らぬ人間を泊める事の非日常さとプレッシャーを想像するとすっぽかしてしまいたくなる気持ちも解る。自分の欲よりも恐怖が勝ったという事だろうか。
ここで待ち合わせしたと言うことはゴウはこの街に住んでいるのかも知れない。
登録された写真が自分に似ているのだとしたら、いつかすれ違った時にこいつがゴウか、と思う日が来るかも知れない。
そんな断りの連絡も入れられない薄情者のゴウが住む街に自分は勤めているのだなとボンヤリ考えていると、彼女が自分の注文をオーダー用のタッチパネルで入力しながらこちらに尋ねてくる。
「ゴウさんは何食べるの?ドリンクバーいる人?」
「いらないし、ゴウさんじゃない」
タッチパネルを受け取り、ランチに利用する時にいつも頼むハンバーグプレートを選ぶ。
「あ、一緒だ。じゃあ水取ってくるから注文しておいて」
彼女はボックス席を抜け出して水を取りにドリンクカウンターへ行ってしまう。
髪は拭いたし、店内は暖房が効いているので震えるほどではないが、湿った服が少し冷たく、また不快に感じる。仕事の納期から風邪を危惧していると彼女が二人分の水が入ったグラスを持ってきてくれる。
「ありがとう。家出でもしてるの?」
タオルが入った大きなリュックから想定された事を聞いてみる。
「いや、そんな歳じゃないよ、ただの旅行。宿代浮かそうと思ったら失敗しちゃった」
良し悪しはわからないが、自分からは一生発揮されない行動力にいっそ感心してしまう。
誰とでも仲良くなろうとするバックパッカーYouTuberに感じる様な、自分と相入れない明るい圧力を彼女から感じてしまいハンバーグを注文した事を後悔した。
今からお金を置いて帰るべきかと思ってしまう。流れで彼女を家に泊めることになった時に果たして断り切れるだろうか。
「ゴウさんはファミレスってどこが好き?」
「ゴウさんじゃないって」
「ファミレスっていいよね、誰でもウェルカムな割に個はどうでもいいっていうか、ほっといてくれる感じ」
すっぽかされた相手の名前が自分の呼び名として定着している事に苛立つものの、名乗る隙もないまま彼女は話し続ける。
「私はロイヤルホストが一番好きで、ちょっと高いから中々いけないんだけど、その高級感がまたいいよね。贅沢って感じで」
違うファミレスのチェーンで別のチェーンを褒めるな、とハラハラするがディナータイムもとっくに過ぎた店内は客も店員もほぼおらず、誰かに聞かれるという心配はなさそうだった。
「コスモドリアが一番好きなんだけど、やっぱ栗が入ってるのがいいよね。甘いのにご飯って感じで、おばあちゃんの栗ご飯好きだったから特別感もあってそればっか食べちゃう。レモンのスライスが乗ってるでしょ、あれって添え物だと思うじゃん、搾ったら一気に爽やかになってさ、初めてやった時は感動したわ。魚介系のつけ麺のスープにお酢入れるくらいの変身っぷりでさ、薬味とか調味料って発明だよね」
ピン芸人のラジオかと思うほどにこちらの返事を待たずに喋り続けるので言葉を発する事を諦めて聞き役に徹する事を決めた。面倒ごとにならないよう、機嫌を損ねずに店を後にすることが自分の取るべき手段であると僕は考え至った。
「味変って言ったらさ、肉まんにカラシつけるのも好きだな。て言うか餃子とか春巻きとか包まれてるものが好きなのかも。包まれるって安心感があるじゃん、守られてるって言うかさ、もちろん肉まんも。それをガブってやるのが凄い良いよね。所詮その程度の庇護ですよ、みたいな残酷さが」
明るい話口で急に残酷な事を言い始めるので僕はギョッとしてしまう。
いざとなったら逃げられるように横に出しっぱなしにしていたスマホをそっとカバンに押し込む。
ちょうど店員が注文した料理を運んでくる。店員はこちらに全く興味を示さず、僕の助けを求める視線も全く汲み取る事なく、僕が頼んだハンバーグプレートと彼女が頼んだボロネーゼを置いてさっさと厨房の方へ戻っていく。
「特に肉まんってもう名前が人間っぽいというか、私も中学の頃は太ってて肉まんってあだ名で呼ばれてたから、あの頃の自分を喰ってしまえっていうか、自殺しなくて良かったなガッハッハみたいな気持ちになるし、その頃に出来なかった自殺を仮想的にやってるっていうか、なんか神事みたいだよね、模して、みたいな。ゴウさんは何まんが好き?」
「あ、餡まん」
過去の辛いエピソードから急に質問を投げかけられた、咄嗟に答えてしまう。
彼女はちょっと残念そうに「あー」と嘆いてから話し続ける。
「餡まん?ゴウさんってマザコン?」
「なんで」
「だってお母さんって何か皆餡まん好きじゃない?食事認定してないのかな、だから甘いのしか買わない気がするし、そんなお母さんが好きで育ったらやっぱ同じもの好きになるのかなとか思って」
偏見が過ぎる、と思いつつも世の母親が餡まんが好きかどうか知らないので否定も出来ず、僕は黙ってハンバーグを食べた。こんな状況でも残業で夕飯を食いっぱぐれていたので体は食べ物を欲していたのか染みる様に美味い。
彼女も器用にフォークでパスタを巻き、流れるように食べ、飲み込むと同時に喋り始める。
食べる、話す、食べる、話すのリズムはあまりに自然で、いつもそうやって間を埋めているのだろうと感じられる。しかし、一方的に話を聞かされ続けるこの状況は会話なんだろうか。
「でもピザまんじゃなくて良かった。私、ピザまんだけは許せないんだよね。あんなん美味いに決まってるじゃん。味濃いし、チーズも入ってるし、ああ言うのはチート過ぎてダメ。ルールを無視した反則行為。だから異世界転生系のアニメも無理。ゴウさん好きそうだよね、異世界転生系」
「なんか今が異世界みたいに感じる」
これまでの自分が経験してきた人との関わりの中でも異質な今の状況にそうこぼしていた。
相手を異世界の住人扱いするようで失礼な気もしたけれど、先にこちらの好みを決めてかかったのは彼女なので気にしない事にする。
「えー何それウケる」
どこにウケているのか、全然ウケている様に見えない彼女の事を眺めながら、自分に期待されているのは相槌だけなのだろうと思う。
「異世界ってさ、そんな都合よく生き残れないよね。そもそも周りからしても脅威じゃん、そんなの助けてくれない。同じ人間には見えるけど、何か違うって姿形から違うより余計疑ってかかっちゃいそう。なんか素数みたいだよね、色んな数に囲まれてるのに割り切れない、自分をわかってくれる人っていないんだ、みたいな。何かそういうの、私みたいで好きだなって思う。素数メアドに入れてたなぁ」
数珠繋ぎ的に移り変わっていく話をテレビを観ているような気持ちで聞きながら黙っていると、彼女が突然フォークを置いて俯いた。
電源が落ちた様にパタっと止まったので、心配になり声をかける。
「どうしたの」
「申し訳ないな、と思って」
バツが悪そうに顔を上げた彼女は、フォークを握り直し、皿の隅の挽肉を先端で弄びながら続ける。
「私、対人関係っていうか、会話が凄い下手で、というかあんまり人に興味が持てないから人の話って全然聞かなくて、ずっと自分のことばっかり話しちゃう。人には興味ないけど、自分には興味持って欲しいって思っちゃうから、こうなっちゃうんだよね」
漠然と感じていた自分を求められていない感覚が勘違いでは無かった事がわかり、彼女の抱いているであろう罪悪感と反比例で僕自身はホッとしていた。
そして、人を求める事にエネルギーは費やせないけれど、人からは求められたいという気持ちは自分にもよくわかる。そのせいか、彼女への警戒感が急速に薄れていくのを感じていた。
「寂しいんだね」
無意識に声に出ていた言葉にハッとした顔を向けられ、僕は目を窓の外へ逸らす。
風は相変わらず強い様で木が大きく揺れているが、雨は止んだ様だった。
「寂しいんだと思う。寂しいのは嫌」
言葉に視線を彼女に戻すと、今度は彼女が肩肘をついて窓の外を眺めていた。
本当に思っている事を曝け出す時、人は相手の方を見られないのかも知れないとその横顔を眺めながら僕は思った。
「雨止んだね、帰ろうか」
彼女はそう言って、残りのパスタをそこからは無言でスルスルと巻き取り始めた。

「ご馳走様でした。本当に奢ってもらって良かったの?」
会計を終えた僕を店の前で待ち構えていた彼女が頭を下げる。
「泊められないから、まぁ、これくらいは」
別に奢る義理もないのは分かっていたけれど、何となく払ってしまった。
「こっちのゴウさんいい人だね、あっちのゴウさんは連絡も寄越さないけど、まぁ悪い人って訳じゃないか」
確認したスマホに連絡の通知がないのだろう、彼女は呆れた風に笑う。
「たまたまなんだろうけど、雨の中でさ、ゴウさん傘も持たずに真っ直ぐこっちに来るから映画とかミュージカルみたいだと思って運命かと思っちゃった」
出会った石像の方を眺めながら彼女は笑う。
「いや、それ運命っていうかサイコスリラーっぽくない?」
「最初の被害者?ウケる。明日の朝には河川敷に棄てられてそう」
この人は気をつけないとそうなりかねないのではと思いつつ、寂しさが安全よりも優先されてしまいそうな彼女からすると「最悪死ぬだけ」なのかも知れないと思い直して何も言わない事にした。本人からして的外れな警告はどうせ受け取ってもらえないし、さっき会ったばかりの自分が言っても説得力が無い様に思えた。
「そろそろ電車ヤバいよね。私はネカフェに泊まります」
ロータリーの対岸に見えるネカフェの看板を指さして彼女は言う。
「はい、じゃあ、おやすみなさい」
「はーい、おやすみ」
彼女は手を小さく振って、その小ささが嘘みたいなダイナミックなフォームで走り去っていった。そのギャップはアニメの様で、初めから最後までアニメの様だったなと僕は思った。
終電間近の改札を抜けてホームで電車を待ちながら、僕は結局名乗らなかったし、彼女も一度も名乗らなかった事に気がついた。こんな初歩すら上手く出来ない二人だったのだ。
それが難しい僕や彼女は、だからこそ寂しさに過敏なのかも知れないと僕は思った。

この短編はこの日記から連想して書きました。
https://oka-p.hatenablog.com/entry/2024/02/11/203241

またー。

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