文学紀行in川内まごころ文学館
文責:深川文
8月25日(里見弴生誕記念展示「父の郷里にて」最終日!)に、川内まごころ文学館にお邪魔してきました。
実は川内まごころ文学館、私が大学で文学を勉強したい、みんなで文学を楽しむことの出来る活動がしたいと強く思うきっかけになった文学館です!私は高校生の頃に、川内まごころ文学館で学芸員の方にインタビューをさせていただいたことがあります。その際、学芸員の方の文学に対する考え方や熱い想いが印象的で、「私も大好きな文学をつないでいくことの出来る人になりたい!」と思うようになりました。あの日、川内まごころ文学館に行って、お話をうかがうことがなければ、今の私は存在していないかもしれないなと思うくらい大きな出来事でした。
その話はさておき……。川内まごころ文学館のホームページで特別展の告知を見た時から、「この夏はまごころ文学館に行きたい!」と決めていました。有島家と薩摩川内市のつながりが気になるテーマの1つだったので、鹿児島に帰ってから、行けるかなーとそわそわしていました。そのため、最終日に来ることが出来て嬉しかったです!
それでは文学館の世界へレッツゴー(* ̄0 ̄)/
ちょっと寄り道―父を介したつながり 薩摩川内市と有島家 ―
薩摩川内市は三兄弟の父、有島武の出身地です。
有島武は、1842(天保13)年に薩摩川内市平佐町に生まれました。
<有島三兄弟(武郎、生馬、里見弴)と薩摩川内市>
有島武郎は1914年に一度、川内を訪れました。
有島生馬は学習院中等科4年生の際に、肋膜炎の療養のために川内で暮らした経験があります。
また、1969(昭和44)年に「有島兄弟展」が開催された際には、有島生馬と里見弴、有島行郎が旧川内市に招待されました。
※参考:川内まごころ文学館ポスト(X 旧Twitter)
有島家|川内まごころ文学館:https://magokoro-bungaku.jp/index.php/writer/arishima(最終閲覧日:2024年8月30日)
川内とのつながりの深さと有島家の芸達者なことに感動!
―里見弴生誕記念展示「父の郷里にて」―
入館料を払って初めに見たのが、里見弴生誕記念展示「父の郷里にて」。
父 有島武の故郷 鹿児島、薩摩川内と、有島三兄弟(有島武郎、有島生馬、里見弴)のつながりに関係する資料の展示が行われていました。有島三兄弟が来川した際のスケジュールや川内ゆかりの人物への手紙、川内や父のことをテーマにした作品の紹介など……盛りだくさんの内容でした! 里見弴と有島生馬が来川した際の細かなスケジュールが記されたパネルも展示されていました! (新田神社や平佐西小学校など、以前川内で文学散歩をさせていただいた時にお邪魔させていただいた場所もたくさん記されていて、見ていて楽しかったです! いつかまた、お二人の来川スケジュールに合わせたお散歩もしたいな🚶)
有島三兄弟にとって、薩摩川内市や鹿児島県が、魅力ある場所として、また、故郷でないにせよ懐かしさのある父の郷里として存在していることを実感させられて嬉しい気持ちになりました😊
展示の中では、有島生馬が学習院中等科4年生の際に肋膜炎で入院したことについての展示がありました。その中で、肋膜炎の療養中に生馬はイタリア芸術や近松文学と出会い、この体験は生馬の芸術観のルーツにもなったという趣旨(この記事はメモを元に作成しているため、展示の説明とは少し逸れた受け取り方をしているかもしれないです💦 もし何かお気づきの方がいらっしゃいましたら、gmail:literature.byyour.side@gmail.comにまでご連絡ください🙇)の説明を目にしました。
また、有島武郎が鹿児島を気に入った内容の文章や、里見弴と有島生馬が、故郷でなくても父親の生まれ育った場所として、川内を懐かしさのある土地と述べている文章を目にすることも出来ました。
川内は有島三兄弟と直接的なつながりはそこまでない場所かもしれません。でも、三兄弟にとって父のふるさと川内を訪れた経験は、父との思い出をゆっくりと懐かしむことの出来た、大切な時間だったように思えます。そう考えると、川内に実際に訪れた体験は有島三兄弟にとっての大切なエッセンスとして、三兄弟の作品や生き方に溶け込んでいたのかなと感じました。
何度見ても新しい発見のある場所
―常設展示―
鹿児島や薩摩川内と有島家のつながりを実感したところで、常設展示室へ。1階では改造社関連の資料を、2階では有島家(主に里見弴)関連の資料を見ることが出来ます。私は毎回、1階,2階の展示を見た後に、2階の伊吾庵再現コーナーで、里見弴先生関連のビデオ番組を1つ視聴して、見学を終了しています。
作家直筆の原稿や手紙に関する展示が充実しているところが、川内まごころ文学館の見どころの一つ✨ 特に1階の展示室では、改造ゆかりの文学者の原稿や手紙をたくさん見ることが出来ます。原稿用紙や手紙を見ていると、作家さんの新たな一面が浮き上がってくる楽しさがありますよね。
原稿用紙の展示をみるということは、作品完成までの一過程を見つめることのような気がします。何度も書き直した跡や内容を付け加えた形跡などをみていると、今、自分が読むことの出来る作品が生まれるまでにどれほど作家が大変な道のりを歩んできたのか、感じ取ってじんわりと胸が熱くなります。
手紙も作家の性格がよく表れるなと感じています。書き損じに対する対処法(墨で塗りつぶしたり、消しゴムで消したり……本当にいろいろでした)や手紙に使っていた紙など、ちょっとしたところに、個性があって、いつ見てもワクワクします。
そして、今回の企画展が書や絵はがきの展示が多かったからか、改めて感じたことが……。
有島三兄弟、皆さん、絵と書道がとってもお上手!
だということです!前から感じていたのですが、皆さん、それぞれの個性がありながらも、素敵な絵や文字を描かれている気がします。文字については、個人的な印象ではありますが、
・有島武郎:流れがありながらも整った文字。
・有島生馬:かすれを活かしつつ、厳格な角張った雰囲気を帯びた文字
・里見弴:堂々とした勢いのある文字
という印象を受けました! 三兄弟ともちょっとした落書きに近い絵でも、どのような状況を描写した絵かがすっと入ってくるものが多く、本当に芸術面で多彩なご兄弟だったんだなと感じました。
最後は伊吾庵再現コーナーにて、里見弴先生についてのビデオ番組観賞! 毎回、時間の都合上、一つ選んで視聴することになります💦
今回は阿川弘之の語る里見弴についての番組を視聴させていただきました。志賀直哉に師事し、里見弴とも親交を築いた阿川弘之。番組の中では、自身と里見弴の交流についてはもちろん、志賀直哉と里見弴の交流についても語っていらっしゃいました。阿川弘之の肉声で里見弴のことを聴いていると、自分の描いていた里見弴像に、新たな要素が加わり、立体感が出てくるような気がしました。阿川弘之のお話を聞いた後に、里見弴からの志賀直哉への弔辞を見ると、二人が心からお互いを大切な存在だと思い、時には衝突しながらも、生涯にわたる友情を築いていたことを想い、胸にこみあげてくるものがありました。
阿川弘之……(1920-2015)東京帝国大学卒業後、海軍予備学生として海軍に入隊。中国大陸で敗戦を迎え、1946(昭和21)年に復員。志賀直哉に師事し、「年年歳歳」で作家デビュー。すぐれた戦争文学を数多く発表する。「山本五十六」「米内光政」「井上成美」の海軍提督三部作、「志賀直哉」など、評伝文学においても大きな業績を残した。また食通、鉄道好きでも知られ、「きかんしゃやえもん」は児童文学のロングセラーとして読み継がれている。2015(平成27)年没。(出典:筑摩書房 https://www.chikumashobo.co.jp/author/000567/)
志賀直哉の生涯をまとめた『志賀直哉』の執筆者でもあります。
本日のブックリスト
今回、まごころ文学館で展示を拝見したことで、読みたいなと思った本が増えたので、メモします📝
□里見弴『鳴る枝』「釜芋さん」←向田邦子が後に『イヤデスさん』というドラマにしたそうなので、そちらとも見比べてみたいです。
□里見弴『姨捨』「短い絲」
□高村光太郎『山のスケッチ』←絵が印象的でした。高村光太郎の絵をあまり見たことがないので、いつか読んでみたいです。
□有島生馬『思い出の我』
<番外編>
ちょうどクイズラリーを実施されていたので、参加させていただきました!
いただいた景品は、里見弴のイラスト付きの栞で、くりくりしたお目が可愛かったです💕大事に使います!
また、記念スタンプも展示されていて、スタンプも押させていただきました!どのスタンプもかわいらしくて、おうちに飾るのが楽しみです😊
川内まごころ文学館さん、本当にありがとうございました!