生活問題の普遍性・・・

彼の意見の全てに同意するわけではないですが、家族関係で苦しんだ経験のある彼らしい意見と思います。生活問題の普遍性については、ほとんどが同意できるものですが、苦しい時に、彼のような境地に立てるひとは少ないのではないかと思います。生活問題を持っている人とそうでない人という二元論は、政府だけでなく、国民にとってもなぜか受け入れられやすい傾向があります。そのことが、生活問題の普遍性を認識させることの障壁となっているかもしれません。

家族重視の政策は、心情的には理解できる。しかし、現在のような残された共同体として既に重荷を背負っている家族に、さらに負担を強いるような政策であれば、むしろ家族制度そのものを壊しかねない局面まできていると思う。家族を重視する政策は、本当に家族を大切に考えているのだろうか。

そういった中で、こういう意見が表に出てくることは良いことだと思い、シェアをさせていただきました。これからのEBPMが実現された国家では、こういったう生活問題の普遍性などが明らかにされると良いと思います。そういった意味では。ニヒルでない時の彼の意見が聞いてみたいものです。

トラブルの乗り越え方
イエール大学 成田悠輔さん

基本大体みんな家族関係で大きなトラブルを抱えている場合がほとんどだと思うんですよ。ただそれが表に出ないんですよね。言わないからないかのような気がして、何か人生とか家族とかスムーズに行っていることが普通なんだよねという間違った思い込みをみんな持っちゃっているじゃないかという気はするんですよね。多くの人は何かしらの地獄を抱えていて、その地獄を乗り越えつつも普通に生きていられている、ということが知られれば、十分なんじゃないかなって気はするんですよね。それを乗り越えるのに、そんな特別な強さとかはいらないんじゃないかなと表面上は高学歴でエリートに見える人とかでも、家族とかの問題となると何かしらを抱えている場合の方が多いような気がします。普通に働いて普通に稼いで、例えば子供を持って、つつがなく40 年、50年経ちますって相当難易度高いゲームだと思うんですよ。勤めていた会社が不祥事で潰れるかもしれないし、いろいろなリスクにさらされているじゃないですか。だから基本的に何かトラブルがあるのが普通だと思うんです。トラブっていない人は大体、そのうちのどこかをバサッと切り落としている場合だと思うんですよ。リスク要因をガンガンに切り落としていって、自分のためだけに生きるとすれば、楽しく生きられる可能性は結構高まると思うんですよ。いわゆる世の中にとって、良いとされているような社会の持続可能性を高めるような生き方は、個人的にはすごく負荷をかけるものだと思うんですよ。時々壊れちゃうのは普通だと。壊れたら壊れたらで、掘建小屋でも立てながらやり直していけばいい。人類はずっとそうやって生きていたので、そういうものだっていうくらいの気軽な感じでいいんじゃないかと思います。周りの人とか、世の中の人たちの一見つつがなく暮らしている感に騙されてはいけないということなんじゃないかなと思っています。

出典


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