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鉄のフライパンのカツカレー。 息子と私の価値観バトル - あるずぼら料理家の視点から -
帰省した息子と言い争いになった 息子のひとこと
お正月休み、東京で働く息子が久しぶりに帰省しました。
久々の再会に、母心はウキウキ。
腕によりをかけて、朝(というか昼)から
カツをあげて、前日の残りのカレーを
温め直そうとしたときのことです。
玉ねぎをたっぷり使い、
揚げたてのカツの付け合わせに作った、私の自信作。
それを鉄のフライパンで温め直す私を見て、息子は目を丸くしました。
「え?鉄のフライパンでカレー?もったいない!」
息子の言葉に、私は思わず吹き出してしまいました。
炒め物や焼き物が美味しくなる鉄のフライパンを
カレーに使うなんて、とでも思ったのでしょうか?
息子曰く、「鉄のフライパンは、ステーキとか焼き物に使うもの。カレーみたいな水分と油分の多い料理だと、せっかくの油膜が剥がれちゃう」
とのこと。
なるほど、確かにそういう考えもあるね。
しかし、ずぼら料理家として、私は断言します。
「鉄のフライパンを使うと、食材の旨味が全然違うのよ!
それに、道具は使ってなんぼ。ガンガン使い込むことで、道具が馴染むし、
使わないより使うことに価値がある!!」
息子は少し納得したような顔を見せながらも、
「でも、もっと違う料理に使った方がいいんじゃない?」と、
まだ主張を曲げません。
むっとした私は、
一歩も引かず、そこから「価値観のバトル」が勃発したのでした。
結果は、声が大きい私の勝ち!
息子も渋々、「まあ、そうなんだね」と言ってくれましたが、この一件で、私は大切なことに気づかされました。
それは、
「道具は人のためにあって、道具のために人があるわけではない」
ということ。
どんな道具を、どのように使うかは、使う人の自由です。
息子の価値観や考えを尊重する気持ちは大切ですが、彼の言葉の裏には、「鉄のフライパンをもっと大事に使いなさい」という
思いが隠されているように感じました。
しかし、道具はあくまで道具。
人の暮らしを豊かにするために存在するものであり、その使い方に決まりはありません。
私は、これからも鉄のフライパンでカレーを作り、煮物も作ります。
なぜなら、その自由こそが、私の料理を、そして人生を豊かにしてくれると信じているからです。
今回の息子とのちょっとした言い争いを通して、改めて「価値観の違いは悪いことじゃない」と感じました。
それぞれが大切にしているものを尊重し、話し合うことで、新しい発見があり、自分自身の考えを明確にすることができます。
息子との会話は、そんな気づきを与えてくれる、良い機会となりました。
次に息子が帰省したときは、鉄のフライパンで作った、もっと美味しい料理を振る舞ってあげようと思います。
そして、息子にも、いつかこの
「物が主体じゃない、人への意見やアドバイスは人を主体」
として、人の未来が良くなること。を起点にしてほしい。
という私の想いが伝わることを願っています。