「さてみなさん聞いてください」 浜村淳
「みんな楽しい気持ちで放送しないと、リスナーも楽しい気持ちになりませんからね。」
「さてみなさん聞いてください」 浜村淳
「四十年前から聴いている浜村さんのしゃべりが僕の支えでした」
読売新聞の読者が、会いたい人にインタビューするという企画で浜村淳さんに語った言葉です。
僕も、浜村さんのおしゃべりが支えだったことがあります。学生の頃、この本の中によく出てくる「サタデーバチョン」というラジオの深夜放送をよく聴いていました。
浜村さんの番組は、他の深夜番組と比べるとしっとりしていて、聴き入ってしまう!説得力がすごくあるんです。
映画の話はもちろん、アニメソング、歴史の話、社会的な話題など、格調高い番組でした。
とくに
映画の話は興味深かったです。明日にでも見に行きたくなるんですよね。ラストシーンのネタまでバラしてしまうのですが…(笑)
もう全部語ってしまっているのに、それでも見たくなるから不思議です。
これは、浜村淳さんのおしゃべりのマジックだと思っていました。
現在は「ありがとう浜村淳です」という朝の番組を通勤の時間に車の中でよく聴いていますが、こちらの番組は新聞を読まなくても、その日の記事がだいたい分かってしまうから便利です。
「さてみなさん聞いてください」
この本は、そんな映画が大好きになる浜村少年の話からはじまります。
戦争の体験、戦後に夢中になったラジオ放送の話、学生時代にディスクジョキーやジャズ喫茶の舞台を経験して、靴下メーカーに就職したものの半年で辞めることになった話など。
そして
ふたたびジャズ喫茶の舞台に戻った時、ナベプロの社長との出逢いがありました。
それから東京へ出ていくことになり、東京のテレビの司会などを経て、関西に戻ってくるまでが【青春編】に書かれています。
関西に戻ってきてからは、現在のおしゃべり ”浜村節” ができたそうなんです。
その頃は吉本興業に入って、司会以外に漫談の仕事までやっていたんですね。
そうして深夜放送の「バチョンといこう」(ラジオ大阪)がはじまりました。
30年以上朝の番組が続いている理由は、この言葉じゃないかな?と思ったのが
浜村さんのお人柄がスゥ~ッと入ってきて、心があったかくなりました。
たくさんの人たちと出逢い、影響を受け、それをお仕事に活かされ、リスナーに感動をあたえている!すばらしいお仕事です。
最後の「おしゃべり映画劇場」では、誌面で映画を2本紹介しています。ラジオと同じような ”浜村節” が楽しめますよ。
1本目は、チャップリンの「街の灯」
僕もずいぶん前にビデオで見ましたが、おもしろくて、おもしろくて、さんざん笑わせてもらったあとに、ラストシーンでは、涙・涙・涙!
この解説を読んで、映画のシーンひとつひとつが思い浮かんできました。
2本目は、韓国映画の「風の丘を越えて 西便制(ソピョンジェ)」
この解説は読んでいるだけなのに、「なんでこんなに切ないんだろう!」「映画をみてないのに、どうしてこんな感覚になるのか?」本当に切なくて、切なくて……
妙な感覚に陥りました。
すごいです。 浜村さんの映画解説は!
やっぱりマジックだと思いました。
【出典】
「さてみなさん聞いてください」 浜村淳 西日本出版社
いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。それだけで十分ありがたいです。