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セブンの「低温熟成発酵 納豆巻」がうますぎる件について B

生きていく中で一番大変なことはなにか?「自分で自分にエサをやること」がその一つである。四半世紀の結果できた青い顔のスーパースターは、美食家だ。

先日帰省したときには、とうとう行きつけの寿司屋でさえ美味しく感じなくなってしまった。何でも美味しく感じられるのは勝ち組だと感じるが、その意味ではまさにLoser。

一流の美食家に比べて、お金があるわけではないので自分が納得いく飯を食えるのは年にせいぜい1度や2度である。一方日々自分にエサをやらなければならないのだが、セブンイレブンというのはどうやら役立つようだ。

セブンイレブンという利益団体にはがバリューを取られている気がして気に食わないのだが、それも仕方ないと思っている自分がいる。なんにせよ、飯のクオリティが及第点を超えてくる。

セブンとは、過去因縁になるような一戦をやらかしている。だからまるで彼らの援護射撃になるようなことはしたくないのだが、それよりも伝えたい事実の方が、納豆巻のうまさが勝ってしまった。

好きなものは「スキ」、美味いものは「ウマイ」といって生きてきたのだから仕方ない。読む諸君はこれが、セブンのステマなんじゃないかと疑いながら読んで欲しい。

実際に一本食べてみた

幾度となく繰り返され洗練されていった動きにて納豆巻を食していく。

まずは、開封。開けた瞬間に広がるのは海苔と納豆巻を食すことに対する期待感だ。当然、ノリのパリパリ感は保たれたままである。

そして、ノリを巻く。

食す。ノリとコメに対する舌のファーストコンタクトは満点。パリパリのノリとともに口に広がるのは「ちょうどいい口当たりの冷飯」。この冷飯、あたたかくてはいけない。

あたたかいと、コメが香りで主張してくるのである。あくまで主役は納豆である。そして、コメが水分を含み過ぎていてもいけない。食感で主張しすぎてしまうからだ。

そして、ノリとコメの後にほんの少し遅れてやってくる主役の納豆は普通の納豆ではない。うまみが「ギューっと」つまっているのである。いい感じにタレと絡んだ通常のものより気持ち深みがある納豆は、この納豆巻でしか味わえないと思わせてくる。なるほど、これが「低温熟成発酵 納豆巻」か。

「うまい」と感じる間もなくこの納豆巻は口の中へと消えていく。あまりに一瞬の出来事であるため、140円というのは高いようにも感じる。しかし、どうやら他の納豆巻ではこうはならないようである。

あとがき~納豆巻140円でこのクオリティは再現できるのか~

結論から言えばセブンイレブン以外がこの納豆巻を140円で再現するのは、難しいと感じている。しかし、セブンとは因縁のある私である。140円でこれ以上のクオリティを出してくれる利益団体の援護射撃として、再現する際に乗り越えなければならない最重要な壁を紹介しよう。

「大量生産によるコストの低下」である。

今コンビニ業界のトップを走るセブンイレブンは、その商品の生産においては「規模の経済性」をうまく利用している。簡単に言ってしまえば二人がそれぞれ「一人分の飯を作る」より一人が「二人分の飯を作る」方が、一人当たりの飯を作る時間や手間は減るのである。

例えば、飯を炊く工程において「米を研ぐ」→「炊飯器にセットする」というのを考えてみる。二人分のコメを炊ける炊飯器があれば、この工程を一回で済ませることができる。(人と共同生活するメリットの一つはここにある)

セブンは納豆巻を「大量」に作っている。それによる時間や手間などのコスト削減は大きい。そしてこの点の恐ろしい見方はもう一つあって、これだけ「高品質」の納豆巻を大量生産している点である。

この「高品質」はやはり商品開発段階において、この「note」のように納豆巻を食べる体験を考えることからやる必要があるだろう。

ローソン、ファミマあたりにはもう少し頑張ってほしい。そして価格競争に持ち込んで納豆巻の値段を下げて欲しい。

大量生産に対する対抗策は割と様々ある。例えば、「手作り」でしかできない納豆巻のうま味を出すとかである。この辺は気が向けばnoteにしよう。

最後に重ねて納豆巻が安くなることを願おう。


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