【irodori】そうか、わたしはあきらめていたんだ【セッション1回目】
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irodoriでは3回まで、専属のコーチによるコーチングセッションを受けることが可能です。コーチと対話しながら、自分の考えを整理したり、問題の解決方法を自分で導き出していくことが目的です。
今回は、1回目のコーチングで得た学びをnoteに残します。
自分でこの出来事を引っ張り出してくるのがちょっと怖くもあり、だけど、きちんと向き合いたいと思い、このnoteを書いています。
課題を進められない……
講義の後、課題1に取り組んでみるも、なんだかうまく進まない。
数値で表せるからとっつきやすいと思い、お金に関するワークから手をつけてみたけど……理想と現実を突きつけられたようで、苦しい。もともと持っていた、お金に対する嫌悪感しか浮かばない……。
そこで、コーチング1回目を予約することにしました。
バッサリ切ってもらおう!
コーチを担当してくださった、ふっちーさん。
SHElikes8期-9期マーケティングコミュニティ(マケブラコミュ)のコミュニティプランナーを務められていました。当時開催していた「ブラもく会」(ブランディングもくもく会)を、現在は自主企画として不定期開催されています。
当時ブラもく会によく参加していたということと、年代が近いこともあり、一度お話ししてみたいと思っていました。こんな形で叶うなんて!
ふっちーさんが得意とされているのが「思考整理」。
今、まさにそういう状況。ぶっちゃけ何を質問したいかもわからない。
だから、ふっちーさんに相談するのはぴったりでした。
現状の悩み整理
話しているうちに「何を質問したいかもわからない」状態だったのが整理されていくのが、不思議なくらい気持ちがいいです。
整理されて出てきた今回のわたしの悩みはこちら。大きく分けて2つです。
お金に関するコンプレックス
自分に対して的確な価格を値付けできない
稼げていないことへのつらさ
自分が勉強して身に着けたスキルを「スキル」や「強み」と断言できない
コーチングで気づいた思考の癖
驚くほど染みついていた、思考の癖。言われてみて「確かに!」の連発です。
無意識に判断していた
ふっちーさんがわたしと話す中で見つけた「思考の癖」。そのうちのひとつが「いいか悪いか判断する」癖です。
自分にとって、その物事がいいのか、悪いのか。「白か黒か」ともいえそうな考え方。判断基準は世間一般の基準であったり、自分で納得できるかどうか、といったところ。
どちらかといえば、世間一般の基準が多いかも。自分の判断軸がまったくない……とはいわないけど、周りに合わせて生きてきたように思います。
さまざまなことを「あきらめて」いた
そしてもうひとつ。「あきらめ力」といった癖。もっと聞こえがよくいうなら(?)「達観している」こと。
過去の出来事をさかのぼっていくと、自分の力だけではどうにもできなくて「あきらめざるを得なかった」出来事が多くありました。それは小さい頃からずっと。
物分かりがよく、周りの子どもたちよりもちょっと大人びた子どもでした。家業が飲食店だったから、お客さん=大人に囲まれて生きてきたという経験もあるのかもしれません。
思考の癖が絡まった「自己肯定感の低さ」
これらの思考の癖が絡まり合い、自己肯定感が低くなっていたのだと気づかされました。
判断基準は自分ではなく、世間一般=他人だった。他人と比べてできていない自分。他人と比べてできていないから「よくない」。
身につけているスキルも、他人と比べたら「できていない」から、スキルを身につけているって自信を持って言えない。
だから他人と比べて「よくない」自分をあきらめて生きてきたといっても、過言ではないでしょう。
でも、わたしだけが悪いんじゃない
ひとつ、ほっとするトピック。それは「画一的な日本の教育」でした。
ゆとり教育以前の教育で、長く育てられてきた世代です。個人の自由は尊重されず「みんな同じように」「みんな仲良く」が重んじられた教育。
将来の理想像もだいたい同じで、多少の違いはあれど、ある程度成功の姿は決まっている。
だから「風の時代」「個の時代」なんていわれて、自分のありたい姿や生活を考えようにも、うまく浮かんでこない。世間一般の成功や決まったレールしかわからないから。
教育の影響がまったくないとは言えない。わたしだけが悪いんじゃないんだ。
それだけで、ちょっと心が軽くなりました。
もっと、わがままに考えていい
irodoriの後々の課題で、改めて現実に向き合うまでは。今は、何もかもを取っ払って理想を思い描いていい。
そんな言葉を受け取って、ちょっぴり「どうしよう……」という思いがあります。先の課題で理想と現実を突きつけられているし、どうしても世間一般の基準と比べてしまう。
だけど、そんな自分も認めてあげる。今までそういう生き方しか知らなかったんだから、そう思うのは仕方のないこと。
その上で、世間一般の目も気にせず、本当は何がしたい?
もしかしたら、結婚もしなくていいかもしれないし、介護から逃げ出したっていいのかも。このnoteを書きながら、さまざまな枷を外した「ありたい姿」を考えています。
他人を幸せにするより、まずは自分が幸せになる!
課題を終わらせられるか不安しかないですが、今はそんな思いで、PCに向かっています。