108のモノ想いを質量に閉じ込める。
人間には108個の煩悩があるらしい。
鼻・眼・耳・舌・身・意の六つに六つずつ悩みがあるそうで。
36個の悩みが、過去・現在・未来にあるので、108だそう。
相変わらず、しっかり108個の悩みがある私は、足踏みをしている。
「いろいろやってて偉いね。」と言われることも増えた。でも、私は全くもって嬉しくない。
いろいろやってる奴が偉いなんてことなんて断じて無い。
多分私はいろいろな事を適当にやっている。大学の授業も必要なタイミングで必要なことしかしないし(それで困ってることもあるが)、事業も足を動かしてステークホルダーを増やそうとしているわけでもない。
ある日、少しづつ心が蝕まれたのに気がついた。
上司に褒められた時のこと。
「君のおかげで〇〇くんが将来の夢を見つけて、毎日楽しんでいるらしいよ!」と言ってくれた。
その時はものすごく嬉しかった。私の一挙手一投足で誰かの人生が潤うことは、この上なく幸せだ。
その日は上司と飯を食らい、帰路についた。
帰りの駅のホームで狭くなっていく線路を眺め、ふと、自分の人生だけ何も無いことに気づいた。
人の人生に寄り添うことはできるくせに、私の人生のレールではまだ数センチしか進んでいない。
程よく、当たり障りなく流れていく日々に嫌気がさしてきた頃である。
結局私は誰かのためでないと動けない人間である。
私はそんな私が、大嫌いだ。
塾で長く勤めた分、少しお金が入ったのでカメラを買った。
Fujifilm X-T2という少し過去のカメラだ。
最近の中で一番高い買い物だった。ある人に影響されて、1日数百枚撮ることを目標に日々、光に恋をしている。
「108のモノ想いを質量に閉じ込める。」
カメラの決済をする際に目標を立てた。
私はご存知の通り、すぐ落ち込み、すぐ嬉しくなり、すぐ恋をする。
いつも、過去を背負い、今を生きれず、未来に不安を抱えている私は、108の想いを閉じ込めることにした。
私の好きな言葉の一つに落合陽一さんの「質量のあるものは壊れる。質量のないものは忘れる。」というものがある。
私にとって今の私を苦しめている産物は、忘れかけている、質量のない思い出ばかりである。
学校帰りの桟橋の下。花火の音でかき消された声。黒い鞄に張り付いた桜。
そんな思い出に伴う光たちを私は「質量に閉じ込めることにした。」
私にとって、カメラは元々質量がなかったモノ想いを質量に閉じ込める機械で、
私にとって、写真はもう戻れないモノ想いたちが質量に閉じ込められた異次元への窓である。
少しずつ、あの頃のモノ想いを質量に閉じ込めよう。