「呼ばれてる感覚」で車を走らせた・・・「リーチ先生」の世界と我孫子白樺派の世界
私の行動をコントロールしているのは「自分の意識」ではなかった。意識は傍観者である。こんな本読んだ。ふと二ヵ所から呼ばれている感覚で、車を1時間程走らせた。そこは、我孫子の手賀沼であった。「リーチ先生」から始まった心の旅の扉が、再び開き始めた。
呼ばれてるという感覚(その①)
最近、脳と心に関する本を読む機会が多く、今回も米国の神経科学者(デイビット・イーグルマン)の「意識」は傍観者であるという本を読んだ。受動意識仮説と同様の考え方である。
その影響なのか、「意識」はなく、背中を押されるように、言い換えれば「呼ばれている感覚」・「無意識」で車を走らせた。その最初の場所は、我孫子の手賀沼の畔であった。
心の旅・京都茶の湯ツアー以来、私の「心の扉」が少しずつ開かれてきた。心の旅の同志から「リーチ先生」(原田マハ著)の小説を紹介され、英国陶芸家バーナード・リーチの世界へ引き込まれていった。
「リーチ先生」(原田マハ著)
同時に、我孫子では、雑誌「白樺」の中心人物で「民藝」のリーダーの柳宗悦(日本民芸館の初代館長)と我孫子での白樺派の文士、志賀直哉、武者小路実篤等とリーチとの交流が描かれている。
我孫子窯と消失
陶芸家バーナード・リーチは、柳宗悦から誘われ、柳宗悦邸の庭に工房と「我孫子窯」を完成させた。その後、火事になり消失してしまった。
この生々しい光景が、小説から蘇る。
リーチと亀之助の傷心しきった姿が目に浮かぶ。志賀直哉や高村光太郎も慰めにやってきた。
事実も大正8 年 5 月、窯だけを残して工房が全焼した。七代乾山継承証書をはじめ、製陶のための貴重な資料を失った。幸い窯の中に残った一部の作品は素晴らしく、以下の写真、有名な「楽焼大皿 兎」などが残った。
小説を読み進むにつれ、我孫子での情景が何度も浮かんだ。私にとって思い出深い手賀沼に、行きたいという念が募っていった。
これは「無意識」・「呼ばれている感覚」がそうさせたようだ。「意識」は、傍観者であった。
この様な小説の情景を思い浮かべながら、最初に三樹荘(柳宗悦邸跡)に向かった。
柳宗悦邸跡へ向かう
柳宗悦邸跡地は高台にあり、手賀沼が一望でき、自然豊かな場所であった。坂道を登って行く。
左手は、柳宗悦邸跡の高台の崖が続き、右手には、竹垣の向こうは、雑木林で、自然豊かで、鳥のさえずりや蝉の声が聴こえ、心地よさが漂ってきた。
高台に着くと、柳宗悦邸跡地は、現在民間人がお住まいで、庭を見ることができなかった。
白樺文学館
散策するにはちょうど良いところに、白樺文学館と道路のはす向かいに、志賀直哉邸跡地があった。
ご縁
私は日本オラクルの創業初期に在籍し、初代の佐野社長時代に一緒に仕事をした。その後、佐野氏は我孫子に「白樺文学館」を創設し、我孫子市へ寄贈したことは知っていたが、訪れるのは、今回初めてである。
これも心の旅の同志、「リーチ先生」から繋がった「ご縁」を感じせざるを得ない。
「リーチ先生」(バーナード・リーチ)⇒白樺派・民藝のリーダー柳宗悦⇒我孫子リーチ窯⇒白樺文学館(創設者:日本オラクル初代社長佐野力氏)
私の「心の旅」扉は開かれた。
上記のような点が線となり、現地へ訪問し、面となって眼前に現れた。私にとって未知の世界であっただけに、この「ご縁」の連鎖に鳥肌が立つのを覚えた。
この「ご縁」も何か「呼ばれている感覚」・無意識が積み重なっての一つだと再確認した。
実は、我孫子の手賀沼は、私の両親が晩年、手賀沼湖畔にある老人ホームで過ごし、手を取り散策した思い出深い場所であった。
でも、当時は白樺文学館へ足を運ぶことはなかった。
白樺派の時代背景
雑誌「白樺」を中心に展開された白樺派は、大正デモクラシー時代の新しい文芸活動です。
当時、白樺派の中心人物の方々の我孫子での数年間はどんな意味を持つかを考察する。
白樺文学館は、地下1階、地上2階の作りであり、柳宗悦の妻兼子が晩年使用したピアノが展示されていた。又、消失した「リーチ窯の模型」が展示され、その大きさに圧倒された。
白樺文学館では、白樺派の資料や陶芸家濱田庄司、河井寛次郎の作品も鑑賞できた。柳宗悦がリーダとなり「工藝」が構築された陶芸家の作品にも触れ
、大満足でまた訪れたい。
呼ばれてるという感覚(その②)
白樺文学館を後にして、茨城取手にある菩提寺に向かった。父母が眠っているお墓がある本願寺である。
柳宗悦の民藝の作品に興味を抱き、「本願寺」に寄贈した父の陶芸作品が、ずっと気になっていた。和尚様にお会いして、その作品がどうなってるか聞きたくて、以前から気になっていた。
父は、サラリーマンを定年退職後、陶芸を趣味で始め、30年間作品を創作していた。
時には茶の湯をやっている母からの依頼で、「水指」や「茶碗」を創作していた。
ご縁
お寺の門をくぐると、偶然にも、和尚さんが庭の手入れをしてご挨拶をすることができた。アポを入れたわけではなかった。
この「ご縁」も、「意識」はなく、背中を押されるように、言い換えれば「呼ばれている感覚」・「無意識」でお会いすることが出来た。「意識」は傍観者であった。
父の寄贈した作品は、本堂の至る所に置物として飾ってあるという。早速、本殿にある陶芸作品が置いてある部屋へ案内してくれた。
本堂の入り口を入ると、法事等で使う「客寄せ」部屋があり、父の陶芸作品が置かれていた。
本願寺の総本山は、京都にある「知恩院」で、法然上人が浄土宗を開祖した旨、和尚さんから教えられ、久し振りにお話をお聞きし、心が洗われる思いでお寺を後にした。
父母の元気な頃の写真を添付して供養としたい。
仏教には「悟りの仏教」と「救いの仏教」
「悟りの仏教」は、「禅宗系」で、座禅や日常の作務をとおして自分と向き合い、悟りをひらこうとする。
「救いの仏教」は、「浄土宗系」で「極楽浄土」に行くためにひたすら念仏を唱え、「阿弥陀仏」の慈悲による往生を願います。
ふと、今年4月の心の旅京都ツアーの早朝、西本願寺の読経に参加したことを思い出した。
早朝の「西本願寺」は、浄土真宗の20人ほどの雲水さんの読経が始まり、信者でなくても心が洗われ、清々しい気分になった。
読経の響きは、ミサのようでもあり、昨晩の「幾星」のバーでの酔いと眠気が冷めやらない身体に、心地良かったことを思い出した。
最後に
最近「意識」ではなく、背中を押されるように、言い換えれば「呼ばれている感覚」・「無意識」で行動した二つの例が、続いて起きた。
このことは、繰り返しになるが、これも心の旅の同志、「リーチ先生」から繋がった「ご縁」と茶の湯のお稽古仲間に感謝念を感じせざるを得ない。
私の未知の世界であった「心の旅」扉は開かれた。
この「ご縁」も何か「呼ばれている感覚」・無意識が積み重なっての一つだと思い、感謝で一杯です。
「禅と工藝」
「心の旅・京都ツアー」で始まった私の心の旅は、大徳寺の「禅」から柳宗悦の「民藝(工藝)」へと扉が開かれてきた。
少しずつであるが、光が差してきた。それは、以下に集約されます。