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DAY1021(2023/01/05):天災で考えた地方で生きる意味
おはようございます。シューゾーです。
いつもnote記事を読んで頂きありがとうございます☆
今日は久しぶりに記事を書けそうです。
あまり長くないかもですが、よろしくお願いします。
🌟今日見てほしい人
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よろしくお願いします。。。
🌟新年からの災害、飛行機事故、北九州の家事、都内の事件について
災害、事故によりお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます
この2024年早くからニュースが多く、私もショックな気持ちを隠せません。
今回のこの内容については、とても私の中でも自分の人生に関わってくるものになってくるものだと思います。
それは私自身が広島県へ移住を決めた理由の一つに、六年前に起きた集中豪雨のことがあるので、その話をさせていただきます。
🌟2018年の夏の災害がきっかけでこのままではいけないと思った
六年前に発生した中国四国地方で起きた集中豪雨のことを覚えているでしょうか?
かなり昔の話のことなので、忘れている人もいるかもしれません。
私自身、この時考えたのが当時の集中豪雨というものによって被害がここまでとは思っておりませんでした。
広島県への移住を検討する前から何度か広島県に限らず、全国色々な街を見ておりました。
当時としては未だ旅行者として広島に行くのだったらまだ良いのではないかという考えがありました。
残念ながらその考えというのは、この災害で自分の考えが変わっておりました。
やっぱりこう云っていた広島県の呉市。ここで起きた酒豪の話というのが、自分の中でかなり印象に残っていたのは。
神奈川県の横須賀市と同様に軍港の街として栄えておりました。
遠いところからでも、当時思い続けていた私としては何かできることがないかと考えておりました。
しかしながら、東京でサラリーマンをしていた私にとっては、何もできない事に対して地団駄を踏んでおりました。
何とかしてでもいいから広島にできることはないかということを考えていましたが、なかなかできずにいました。
そのため、この時から私は少しでも広島県のことを少しでも知りたいと思うようになったのです。
といっても今は仕事とか、そういったことばかりで、広島のことをなかなか知れる機会というのはないと思います。
今思えばアニメと言うことだけでなく、この豪雨災害というものが切っ掛けで、より広島のことを知っていきたいというところがあったのだと思います。
ですが、この話をするとあまり理解されることというのはなかなかないのです。
🌟似た県が他にもあるが・・・
といっても日本は47都道府県と幅広くあるのです。
たとえば長野県であったり、今回災害が発生した石川県や富山県、福井県、新潟県も行ったことがあるのですが、どうしてそこが移住先とならなかったのかということについては仕事という面があるのかもしれません。
でも決してこれらの件が嫌いというわけではなく、自分に合った待ちというのがあるのでは?と言うことを考えておりました。
アニメと海の景色と鉄道面と言うことを考えてみると、一番近いとこが広島にあったのではないかと考えております。
🌟何度も訪問したところだからこそ、救いたかった
広島県以外にも色々な県に行ったことはあるんですが。当時学生だった私が一番印象に残ったのが、愛媛県の道後温泉です。
といったとしても、愛媛県の道後温泉は外を見たとしても、実際高はあまり入っていなかったりします。
大学二年生の時にメンタルを病んでしまいそうになった時がありました。
私自身もはや生きる価値もないのではないかということを考えながら、電車でふらふらしておりました。
この話は以前のノートの記事にも書いてあるので、そちらを見ていただきたいのですが、面倒くさいので、今回はそれまで掲げてなかった話をします。
もともとなんでもいいから、とにかく遠い場所に行きたいという思いがあったのでした。
それはもともと311。東日本大震災が発生する前からずっと考えていたことになっております。
東京のとある大学で数学の勉強をしておりましたが、こういった数学の勉強というのは果して将来に役立つのか甚だ疑問に感じておりました。
大学の時の勉強なんて役に立つのかといったことがあった為、正直に言ってしまえばすぐにでも東京離れたいと思っておりました。
愛媛に関して言えば、自分自身が初めて入った温泉がとても好きだったということもありましたし、この近くに住めたらいいなと言うことを考えておりました。
何よりも東京みたいなストレスというのがほとんどない地方都市というのは私にとって魅力的でした。
そして愛媛県に関して言えば、西日本集中豪雨で被災地にもなっていたのです。
そういったこともあり、実は愛媛県にもボランティアへ行こうかと言うことを考えておりましたが、時間的なことも考えて寄付だけに止めました。
🌟好きな 街だから、ということで終わらせたくない!
私自身が一番長く住んでいたのは、東京にある実家です。
昔よりはギクシャクしたとは言え、両親や兄弟ともそこまで仲が悪いわけではありません。
これを言ってしまうとあれなんですが、東京での生活というのに耐えられない時がありました。
仕事面であったり、満員電車であったり、あとは東京に長いこといるというプレッシャーがのしかかってまいりました。
私自身は。このスーツ、豪雨やその後に来る新型コロナウイルスで、このままでいいのかという。モヤモヤを解消したかったのです。
東京に居ることで一章自分自身は東京都民のままでいるのかといったことは避けたかったのです。
時間がかかってしまいましたがやっと瀬戸内海に近い地域に移住することもできたので安心なのかと思いきやいろいろ問題があるのですがまあそれはまた別の機会にお話しします・・・